2001年秋季彼岸施餓鬼会

【大安寺】9月22日(土)
 お盆から経つこと約1ヶ月少々。秋のお彼岸がやって参りました。
 うっかりしていると一ヶ月など、”あっ”と言う間ですね。真夏の猛暑に比べて、やはり「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものです。天気も快晴、日なたはまだまだ暑いですが、建物の中は心なしか涼しかったです。
 さて、施餓鬼会の行事は午前10時過ぎから始まりましたが、その前に撮影したものが上の二枚です。
 僧侶控え室で談笑する日進管長と本覚寺の日昭師、向こう手にはお参りになった檀家さんの姿も写っています。
 行事は1時間少々の読経唱題があります。お参りになる檀家さんも足が痛い…そこで、用意したのが、畳を傷めない椅子ですね。この時点では16脚用意させて頂きました。

 去る9月11日はアメリカの同時多発テロの事件がありました。非常に痛ましい事件です。なぜ、テロが起こるのか?という疑問がありますが、それには、あらゆる面から歴史的な考察も行われなければ分からないかもしれません。犠牲者の冥福を祈ると共に、お彼岸の行事を厳かに営みました。
 お彼岸の法話としては、法話集の「塩の味」を参照なさって下さいませ。

【本覚寺】9月23日(日)
 御津郡御津町鹿瀬の本覚寺において、秋季彼岸施餓鬼会が営まれました。大安寺より日進師、そして私、霊源寺から日祥師が参りました。
 春秋のお彼岸、そしてお盆のそれぞれの施餓鬼法要には、各寺から僧侶が参ります。そして、三寺で三日を割り当てています。これは、前官長:横山日省師の時代から続いています。行事前、本堂の廊下に足を運ばれている日進師と、チョッと分かり難いですが、日祥師が写っている珍しい画像です。



 法要後には、当時の僧侶が法話を一席設けるのが慣わしになっており、本覚寺では日昭師が法話の最中…というのがこの画像となっています。すべての行事を終えると、参拝者の方々は客殿に移り、そこでお手製のお弁当を頂きます。昨今、お寺の行事後の食事もアウトソーシング化が進む中で、本覚寺は当番の方々が早くから準備され、頑張ってお手製のお弁当をお配りしています。



【霊源寺】9月24日(月)
 23日が日曜日だったために、月曜日が振り替え休日となりました。巷は、三連休だったのでしょうか。お寺の行事としては、お中日を挟んで三日間ということになります。

 霊源寺:日祥師を導師として秋季彼岸施餓鬼会が営まれました。前日には、檀信徒の方が掃除に訪れられ、本日も朝早くから準備に大わらわだったようです。
 行事の後は、日祥師から法話を頂き、会食の席へと変わりました。
 霊源寺…もとは、岡山市西側筋にあったのですが、戦災に遭って当地に引っ越し。以後、長く”にしがわ”という愛称で皆さんに親しまれています。正式名称は「妙講山霊源寺」。こちらには、江戸時代の貴重な資料が大量に保管されており、禁制後の不受不施派の研究には欠かせないものとなっています。
 不受不施日蓮講門宗としては、貴重な資料を綴じた「万代亀鏡録」という出版物があります。これもまた、当サイトで紹介していければと思っています。
(日常記す)