お盆法話 1996-1

 お盆には、お墓へ参ってご馳走を用意し、食べたり飲んだりする所もあるそうです。
 そこまでしなくても、お花をあげたり灯篭をつけたり、水を供えたり香をあげたりして、何時もより丁重に供養します。
 もちろん、お仏壇も立派に飾ったり、床の間に供えたりもします。
 日頃、先祖とは遠い縁の人たちも、お盆になるとお墓まいりをします。
 また、故郷の爺さん婆さんのもとに、お盆休みという公認のもと、骨休めに帰省できる期間でもあります。
 「今の若い者は………」とボヤク時勢でも、やはりお盆は一年の内で一番ご先祖が大事にされる時なのです。
 でも何故、このお盆には特別に先祖を供養するんでしょう………?
 お盆の三日間は、霊魂が生家に帰ることを許される公認の日だからでしょうか。
 でも、疑り深い人は「アノ世の事は、行って帰って来た人がいないのだから、分かるものか」と思うことでしょう。
 しかし、霊界の事はともかく、私たちが認めている事が重要なのです。
 何故なら、祀るのは私たち生きている者たちだから………。
 祀る、祀られるという点から見れば、生きホトケの方が優位ですね。
 さて、お盆の由来を知ることも大切ですが、自分の先祖の事に思いを馳せるには絶好の機会ではありませんか。
 「ワシの若い時は………」「ワシが子供の頃は、この辺りも………」と、日頃は邪魔くさいお年寄りの………いや、自分の爺さんや婆さんの昔話に耳を傾けてみてはどんなものだろう。
 両親の昔話でもいい、そこには戦争の話があり、緑豊かで川の水が透き通った時代の良き日本の姿があるはず。
 いかに短期間で、日本の環境が損なわれたか確認できてしまいそうである。
 ところで、先祖祀りに大切なものは何でしょうか。
 もちろん、お供え物も重要ですし、飾りも大切なものです。
 見える物より、見えない物に大切なものがある   という観点に立てば、やはり“心”が最も供えるに一番相応しく最も大事なものと言えます。
 でも、どんな供養の心を捧げればいいのでしょう。
 もちろん、未だ成仏していないご先祖には早く成仏を祈る事も忘れてはいけませんが、私たちには成仏しているのか、まだ成仏していないのか知ることも出来ません。
 ですから、まず成仏できますように   と祈りを捧げ、その為の実践も合わせて行う方がまず無難なところでしょう。
 先祖のいない人はいない訳ですから、私と先祖との関係    つまり、私が此処(ここ)にいる   という事は、何を意味するのか考えてみるのも良いと思います。