お盆法話 1996-2

先祖代々を祀ること

 新は七月、旧は八月と伝統のウラ盆行事が行われる。
 そこへ、八月は原爆忌と終戦記念日が重なる。
 亡き人を偲び、日頃は離散して生活している肉親が集まって、先祖の霊を迎えるために民族大移動とまで言われるほどの動きを見せる時期でもあります。
 盂蘭盆の行事は、一年に一度、先祖の霊が子孫の家に見聞に帰ってくるので、仏壇などを飾り迎え火で迎えます。
 そして、送り火で送るまでの三日間、皆が集まって心を込めて接待をします。
 そこへ、菩提寺の僧侶が棚経参りをしてくれるのが習慣となっています。
 中には、帰る家や、仏壇がない霊もあります。
 そうした成仏できずに迷っている霊、飢えた霊───つまり、餓鬼霊のための供養の場を専用に設けることも、多くの地方で続いています。
 そしてお寺では、先祖の霊を家に迎えて供養できる恵まれた者たちが浄財を出しあって、餓鬼の供養をする「施餓鬼会」がお盆行事と共に営まれます。
 でも、永く続いてきた「家」を単位とし、その家の先祖代々をお祀りする風習は、近年になって混乱を生じてきました。
 核家族化が進み、また子供の数が少なくなってきて、家の先祖代々を守り、お祀りしていく事に種々の問題が起こってきたのです。
 例えば、家の跡を継ぐべき立場の者どうしが結婚する───という事も増えてきました。
 この場合、双方が各々の先祖を祀る仏壇を二つ用意することには障りがある───とする観念も根強く残っていて、当事者たちは深刻に悩んでいます。
 その他、後継ぎがいなくて、自分たちが死んだら後はどうなるのだろう───という人たちも増えてきています。
 また一方で、重い病気にかかったり、事故に遭ったり、子供が非行に走ったり、離婚したり、仕事で失敗したり、失業したり………という不幸に見舞われた人に、
 「先祖の霊の祀り方に問題がある」
とか、
 「先祖の霊が迷っているから、こんな不幸になる。
 これコレしなくては、ますます不幸になる」
と言われて苦悩している人も激増しているとか。
 それぞれの家が、菩提寺の宗旨に合わせた仏壇を祀り、僧侶が読経に来てくれるという先祖祀りの形が各地で徹底したのは、江戸時代に行われた寺請けの施行からであると云われる。
 そんな中で、結婚さえ双方の菩提寺の了解を得なくては成り立たない───といった具合で、ある地方では、結婚することを“宗旨がえをする“と言うのが残っているらしい。
 とにかく、家と菩提寺、その宗旨が日常生活から家のあり方を大きく枠づけてきた歴史がある。
 こうした江戸時代以来の伝統が、激しく変化する社会の流れで行き詰まり、多くの問題を投げかけてくる。
 そうした問題に直面した人々の気持ちの混乱と不安を、ある種の新興宗教と呼ばれるものの教えや露骨な霊感商法などが、さらにゆさ振りをかけ増幅させている。
 日本仏教の伝統的な歴史を持つ、既成仏教と呼ばれる教団や寺院は、こんなに不安と混乱が拡大してきた先祖供養について、「どう対処すればいい」のか、現実的に示さなければならないだろう。
 先祖を祀る者がいなければ、お寺に永代供養を頼めばよい───というだけでは、納得してはもらえない。
 埋葬墓地の問題も含めて、各寺院、各教団さらに宗派を超えて日本仏教が真剣に取り組まなければならないと思う。
 先祖供養を考える時、気になるのは宗派の違いである。
 「宗旨がえ」という言葉で象徴されるように、宗旨によって仏壇の本尊も仏壇の形式も異なるものを、一つの家の中で祀るのに違和感を持つのは当然かもしれない。
 しかも宗旨によっては、「他の宗派で祀っては救われない」と断言する者もある。
 宗教が違えばまだしも、同じ釈尊に端を発した仏教が、枝葉の違いにこだわって根幹を見失ったことが問題なのであろう。
 いろいろな仏があり、いろいろな教えがあるというのは、それだけ私たち衆生に変化があり、苦悩の種類が多様だからである。
 日蓮聖人も言われている。
 「しかるに仏の教え、また、まちまちなり。
 人の心の不定なるがゆえなり」
 それをとにかく、このお寺のあるこの地域は、この寺の檀家───と決めつけて固定してしまった寺請け制度は、仏教そのものを歪めてしまった。
 仏教は釈尊に帰一する───という事を考える時、仏教としての仏壇の祀り方と先祖供養のあり方を、急いで探求しなければならない時期がきているのではないか。
 多くの先祖を、一つの仏壇で祀る方法は、あるはずである。