満中陰の祭壇へのコメント

お曼陀羅について

 掲げるお曼陀羅は、普通は一幅です。
 ただ、講社とか個人で多くのお曼陀羅を所有している場合、複数幅を掲げる事もあります。
 多数を掲げる時には、その順番が問題になったりします。
 考え方が色々ありますが、忌中には一幅が望ましいようです。

御本尊さまについて

 御本尊さまへは、何時いかなる時でも供養するのが本当です。
 したがいまして、御本尊さまへの「お茶湯・お膳」は必ずいたします。
 ただ、供えるスペースがない場合には、お茶湯だけにしたりします。
 お茶湯も省略する事がありますが、御本尊さまへの供養の心は必ず供えましょう。

お供具(くぐ)について

 お供具は、亡くなった日から一つずつお作りします。
 亡くなった日には一個、次の日には二個になります。
 葬儀を出すまでは、水でこねます。
 意味するところは、取り急ぎお供えしましたという事です。
 今でこそ、お湯を用意するには、やかんに水を入れてガスパチンですが、そりゃあ昔は大変でした。
 亡者がお腹を空かしているのに、〃お湯が沸くまでちょっと待って〃では可哀相という考えがあったのだと思います。
 それは、お茶湯(実際はお水ですが)の供え方にも共通しています。

お供具についてU

 昔々には、今のように果物類も手に入りません。
 菓子類も高価なものでした。
 おそらく、昔はお供え物と言えば、お供具ぐらいであったと思われます。
 法事といえば、親族の方は遠い道のりを歩いて?来ていたわけです。
 今のような交通の便などない時代です。
 法事にちゃんと行ってるのかどうか、今なら電話一本で連絡がつきますが、昔はそうはいきません。
 「法事に行ってきた」証しとしてお供具が使われたのかもしれないのです。
 読経を済んでお墓に参り、参られた親族の方々にお供具を二、三個手渡す。
 それを持って帰ると、「遊びに行ってきたんじゃない、法事に行ってきたのだ」という証しになった訳です。

お供具についてV

 満中陰で、お供えするお供具の数が問題となります。
 三月越しを避けて五七日忌で営むと、実際のところは三十五個となります。
 ところが、実際に行なわれる儀式自体は七七日忌と同じ事をいたします。
 儀式的には忌中明け、つまり四十九日忌ですからお供具の数は四十九個数です。
 ですから、儀式的には四十九個が道理となります。
 何らかの都合で、何日か早く満中陰(七七日忌)を営んでいるのですから、それが実際には何日忌であろうと、儀式は四十九日忌と変わりありません。
 でも、対外的儀式的とは別に、四十九日忌はちゃんと数えられた日にあるのですから、その日が来て本当の忌中明けが訪れる事になります。

お供具についてW

 亡くなってから一日一個ずつ作っていきますと、作り終えるまでに四十九日かかります。
 夏ですと、最初にお作りしたお供具はカビだらけ。
 これでは、供養の心が疑われてしまいます。
 昔は土葬でしたから、一週間ごとに七個、十四個…とお作りしてお墓へお供えしていました。
 そうすれば、小鳥などがついばんでくれたわけです。
 火葬の場合、納骨するまではお墓に参っても意味がありませんから、そういう訳にはいかなくなりました。
 夏季の傷みやすい季節には、七日ごとに新しくお供具は作り直し、古い方はおはやしするしかないでしょう。
 これは、お供具に限りません。
 ただ、戴けるものは戴きたいもので。
 「もったいない」という気持ちを大切に。

お位牌について

 納骨までに、正式なお位牌を用意して開眼してもらいます。
 満中陰の当日、始まる前におがんでもらう事も多いですね。
 ところで、初めから夫婦位牌に刻むことがあります。
 亡くなった方の戒名だけ刻んで開眼して頂くのも一方法でしょう。
 夫婦位牌にするつもりなら、この方法が良いと思います。

お上人へのお礼は

 お上人へのお礼は、あらゆる場合において赤色の水引です。
 読経して下さったお礼ですから、黒色の水引は使いません。
 葬儀のお礼は、出来れば初七日ぐらいをメドにお寺へ持参するのが通例で、遅くなっても納骨までです。
 都合で持参できない時は、初七日(しあげ)の時に言付けても良いでしょう。
 えっ!、中身は幾ら包んだら良いですかって?。それには、定番のお答えがございます。『多いほど、よろしい』(笑)。

置布

 置布は、初七日(仕上げ)の時に住職へ手渡して、お寺に持って帰ってもらいます。あるいは、葬儀の時のお礼として、お布施をお寺に持参する際に一緒に持って行き、住職に渡します。