おシャカさんの出家の動機は?

 世俗の生活を捨て、聖者の道に踏みだすことを「出家」といいます。
 出家することを決意するに至らせる理由は人によってさまざまですが、大概は身近な愛する人が死んだり、我が身の上に不幸が度重なったり、もうすっかりこの世の生活に嫌気がさした、というようなことが動機になっています。

 では、おシャカさんが出家に踏みだした動機は一体どのようなものだったのでしょうか。
 仏伝文学には、しばしばおシャカさんの「四門出遊」ということが書かれています。

 それによりますと、おシャカさんが十四歳の時のこと、ある日お城の東の門から外に遊びに出たところ、病に苦しんでいる人に出会いました。
 おシャカさんはそれを見てすっかり鬱ぎ込み、サッサと城に戻ってしまいました。

 また別の日、こんどは南の門から遊びに出ました。すると今度は、ヨボヨボに衰えた老人に出会いました。
 また別の日、西の門から遊びに出ますと、こともあろうに死人に出くわしました。
 そのたびにおシャカさんは、鬱ぎ込んだということです。

 そして、またまた別の日、北の門から出てみますと、こんどは出家修行者(沙門)に出会いました。
 この時、おシャカさんの心の中に、いずれそのうち出家しようという思いが芽生えたといわれます。

 この「四門出遊」のエピソード、なかなかに面白いのですが、しかしそれにしても、ちょっと話がうまくできすぎているような気がしないでもありません。
 いろいろな仏典にあたってみますと、全体としておシャカさんは、若い頃は体がきゃしゃで、そのぶん神経が繊細だったようです。
 感受性が鋭く、やや神経質で、ちょっとのことでも思い悩む、といったタイプの青年だったようです。

 ですから「四門出遊」自体は後世の作り話に違いないのですが、ただそれに似たような体験をして深く思い悩み、それが「出家」への下地になっていった、というのが真相に近いと思われます。

 また、おシャカさんは、生まれて七日目に母親マーヤを失っています。
 その後、マーヤの妹マハーブラジャーバティがお妃になって、おシャカさんを実の子同様に育ててくれているのですが、繊細な少年おシャカさんには、母親の死が大きな問題として心にのしかかっていたのかもしれません。

 一説によりますと、おシャカさんは、起きている間は美しく艶やかに振る舞っている後宮の侍女たちが、夜だらしない姿で眠りこけているのを見て、魅力に満ちあふれた女性も、その正体はこんなものでしかない、こうゆうものを相手に世の楽しみを尽くしてもつまらんことだ、これはもう出家するしかない、ってなわけで出家したという話があります。

 話としては、確かに”なるほどね”と思わせるところがあって面白いのですが、このたぐいの話は古い時代の文献にはまったく出てきません。
 おそらく後世の仏伝文学の作者たちが、おシャカさんの出家を、よりドラマティックなものに仕立てるために創り出したものであろうと思われます。