おシャカさんの第一秘書だった阿難

 おシャカさんには、たくさんのお弟子がいましたが、阿難ほどおシャカさんに献身的に尽くした人はいないだろうと思われます。
 阿難は、おシャカさんのいとこにあたる人ですが、出家してから二十数年の間まるで影のように常におシャカさんの傍にいて、コマゴマとした身の周りの世話をしていたため、「侍者阿難」といわれています。

 阿難は、お坊さんや信者たちとおシャカさんの間に立って、おシャカさんのスケジュールの調整や渉外も行っていたようですが、決して威張ったり出しゃばったりすることなく、まさに理想的な第一秘書でもありました。
 また阿難は、いつもおシャカさんの傍にいたため、おシャカさんの説法をいちばんよく聞いた人、「多聞第一」ともいわれます。
 そこで、おシャカさんが亡くなった後、開かれたお経の編集会議(記憶確認会議)では、阿難が中心的な役割を果たしたと伝えられています。