責任感

 今ほど責任感のない人が多い時代もないだろう。
 いい歳をした大人でさえも、自分の責任を他に転嫁する。
 仕事の上においても、家庭の上においても、そうである人が実に多くなった。
 子供の非行において、次のような話がある。
 『小六の子が万引きをした。
 その子は、小二の頃から、親やおじいさんお婆さんのサイフから、お金を抜き取っていたそうである。
 それは、高価なオモチャを買うために。
 彼は、家族だけでなく他人のお金も狙った。
 しかし、先生のお金を盗んだことから足がついたのである。
 クラスの友人は、彼から万引きの事を聞いていて知っていた。
 その非行が発覚した時、どの親も言う“まさか!“であった。
 家族の者は、誰一人として彼の非行に気付いていなかったのである。
 もちろん、先生もであった。
 結局、他人さまのお金は、親が代償することになったのだが、待てど暮らせど、親からの返事がない。
 こちらから電話をすると、“忙しいから“、“いつ学校へ行けば先生がいるのか分からない“という弁解が返ってきた』
 万引きとなれば、警察のご厄介になるのが普通だが、このケースでは先生だけで処理されていた。
 しかし、この親の態度は何とも解せない。
 まったくと言ってよいほど、自分の子供の行動に責任を感じていないのである。
 他人のことではなく、自分の子供のことである。
 保護者の責任を、何と思っているのだろうか。
 まさに、この親ありて、この子あり───である。
 親としての責任を果たせない人が、社会人の一員として仕事上の責任を果たせる───と思っているのであろうか。
 これは、何も特別な話ではない。
 それだけ、責任感を感じなくなってきている人が多くなった───と言えるのではないだろうか。
 “自分のことで手いっぱいで、それ以外のことは責任などとれないんだ“という意見もあろう。
 しかしそれならば、“じゃあ、自分の責任はチャンととっているのか“というと、そう言う人たちは、自分の責任をチャンと他人に転嫁しているのである。