出家

出家
 なぜ、お釈迦さま(本名ゴータマ・シッダールター)が出家したのか、それから語ろうと思う。
 物質的には何不自由のない生活をしていた若者が、それを捨て、決して樂ではない修行者の道を歩むには何かがあったはずである。
 出家の理由は、お釈迦さまが亡くなって後に「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の物語として後世の人が創作している。
 創作とは云っても、その原型はお釈迦さま自らが説法の中で語られたはずである。
 その証拠に、古いお経の中にお釈迦さまご自身が、出家にいたった経緯を次のように語ったと記されている。
 それは、お釈迦さまが祇園精舎にいた時の事であった。
 「修業者たちよ!
 出家する前の私は、たいへん裕福な生活をしていた。
 生家には、池があって美しい蓮の花が浮かび、かぐわしい香がただよっていたし、着るものは最高の生地を使っていた。
 また、季節ごとに三つの別荘があり、召使いたちは私と同じように米と肉との食事が与えられていた」
 このように、何の不自由もない生活の中にありながら出家を決意したのは、老と病と死の事に思い至ったからだ   と語り進めています。
 「私は、そのような生活の中にあって思った。
 愚かな者は、自分がいずれ老いて老人となる身なのに、己れの事は忘れて老人を嫌う。
 考えてみれば、私もまた老いる身である。
 老人になる事を避ける事はできない。
 それなのに、老人を毛嫌いするというのは、私にとって相応しいことではない。
 そのように考えた時、青春の驕ごり、若さを自慢する事は無意味になった」
 お経では、さらに病いと死について同じ思いが営まれた事が語られ、若さを謳歌し人生の春にあったにもかかわらず、父母が止めるのを降り切って出家した   と語っている。
 もともとは、お釈迦さまが弟子たちのために、若さと健康と生存(いつまでも生きられると思っている)の高ぶりを戒めて語ったものである。

正覚
 お釈迦さまは、王舎城からほど遠くないウルベーラー村の河のほとり……一本の大きな樹木の下で、ついに大いなる解決に到達された。
 つまり、さとりを開かれたのである。
 その時、お釈迦さまが得たものは、どのようなものなのだろうか。
 それは、仏教に関心と興味を抱く者が、誰しもハッキリと知りたいと思うところでもある。
 それを、素朴かつ簡単にとらえようと望むならば、初期の仏弟子たちによって伝えられている一節がある。
 「初めて悟りを開いた世尊(お釈迦さま)は菩提樹の下に坐禅を組んだまま、煩悩と迷いを断ち、輪廻から自由を得た喜びを受けつつ七日の間座っておられた。
 七日を過ぎて世尊はその座を立ち、午後八時ごろ縁起の法を思いめぐらした。
 これあれば、彼れあり。
 これ生ずれば、彼れ生ずる………(後略)」
 お釈迦さまが悟り得たものは「縁起の法」と呼ばれるものである。
 「これあれば、彼れあり…これ生ずれば彼れ生ずる」と解かれ、それによってすべての存在が明らかとなり、一切の疑惑は消滅したと述べられている。
 「縁起の法」が、お釈迦さまの悟りの内容であるなら、出来るだけ的確につかむ事が仏教を理解する第一歩となろう。
 「まず、縁起というものは、どのようなものであろうか。
 例えば、生(誕生)があるから老死(衰退と滅亡)がある。
 この事は、私が悟る前から決まった事である。
 存在の法則として定まり、確立している事である。
 その内容は、原因結果・因果の法則である。
 それを私は悟った。
 悟って今、お前たちに教え示し説明して、〃お前たちも見よ〃と言っているのである」
 お釈迦さまの悟りの内容、つまり縁起というのは、〃存在の法則〃であると云う。
 〃存在の法則〃というものは、存在と共に有るものであるから、お釈迦さまがこの世に出られる・出られないに係わらず永遠に存在するものである。
 それをお釈迦さまは、ただ悟り知って、今、教え示しているだけであると云う。
 その悟った内容は、関係性とか原因結果・因果の法則とでも云うべきものである。
 お釈迦さまの出家の課題は、老と死もしくは苦であった。
 人間の有限性を超越し、それに押し潰される人間存在を救済する道を探したのである。