亡くなった方の四十九日忌満中陰の儀法要をご命日から数えて翌々月に営むことを『三月越し』と言います。
これを避けて翌月中に四十九日忌(満中陰)の儀を営む風習があります。
『四十九が三月につく』=『始終、苦が身につく』という語呂で伝わっておりタブー視されています。
何故なのか、先代から聞いた話と拙僧の僅かな知見をまとめてみました。
不幸があると天幕を張り、祭壇を設け、棺を構えて葬儀の準備を始める。
死者を守るために、天幕で結界を張る。
天幕は、葬儀式場の空間を作り出す意味もある。
神道では「御霊が清められるまで、死は汚れたもの」と考える。
当家に神棚が祀ってあれば、神様に汚れが及ばないように白い紙などで目隠しをする。
その目隠しは、喪が明けるまで。
つまり、御霊が清められるまで取り除かないことになっている。
しかし、喪中は仕方がないとしても、余りそれが長いと、不便を掛け、逆に失礼なことになると考えられた。
三月越しを忌み嫌う、避けるというのは、神様への畏れの念が発露であり、先人たちが考えた上手い落としどころなのではないかと思う。
仏教の四十九日忌を守れば、三月にまたがる事が確かにある。
そこで、繰上げて営むようになった。
まぁ、繰上げても本当の四十九日忌は厳と動かずにあるのだが、儀式を通してその日を引き寄せ、営む訳だ。
亡くなった人のために供養を捧げ、無事に黄泉に送り出して成仏を祈り、神様にも気を遣う~そこには、畏敬や思いやりの心が常にあると思う。
仏神にどう接し、心を尽せば良いのか。
『三月越し』を一つの契機に、色いろ考えてみるのも良いかもしれない。
寺報209号から転載