ある時、インドのコーサラ国のパセナーディ王は最愛のマリッカー夫人と、高楼に登って雄大な眺めを楽しんでいた。 王は、ふと夫人に問うてみた。 「マリッカーよ、そなたは自分自身より、もっと愛しいと思われる者があるか」と。 王は、相思相愛の夫人の口から、さぞかし、「何よりも、あなたが愛しい」という言葉を期待していたのだろう。 しかし返ってきた言葉は意外だった。 「大王よ、わたしには自分よりもっと愛しいと思われるものは考えられません。 大王も、ご自分よりもっと愛しいと思われるものがあるでしょうか」と。 期待を裏切られた王は、夫人を連れて釈尊を訪れ、この事を申し上げた。 釈尊は深く頷ずかれて、次の偈を説かれた。 「人の思いは、どこへでも行くことが出来る。 されど、いずこに行こうとも、 人は己れより愛しいものを見出だすことは出来ない。 それと同じように、 他の人々も自分はこよなく愛しい。 されば、自分自身が愛しい事を知る者は、他のものを害してはならない」 『自己の愛しさ尊さに比べて、相手を思う』という釈尊の教えに立てば、大は国と国との戦争、小は人と人との争いなんて起こるはずがない。 とかく自分だけにとらわれて相手を思う事が少ない私たち凡夫。 このような教訓を繰り返し味わうことが必要ではあるまいか。 |