亡くなった人の霊前には、故人が生前愛用していたものや、好きな食物などをお供えするのが人情ですよね。その中で、ご飯を丸く盛ったお茶碗の真中に、故人が生前使っていたお箸(或いは新しい割筈)を立てて供えたりします。主に、亡くなった時の枕飯や葬儀葬送を出すまでの間、霊前・仏前のご飯に箸を立てて、「さあおめし上がりください」という風にお供えします。
なぜ、箸を立てるようになったのでしょう?。インドでは、(お釈迦さまの時代も)ご飯もお菜も一椀の中に入れて、右手の三本指で上手にまぜ合わせ、丸めて口に入れるという食事法があります。一般の人も仏教徒も、皆このようにして食事をしてきたわけです。
仏教が中国に入ると、その辺がちょっと具合が悪くなってきました。中国人は箸を用いて食べる文化なので、これだけは習いませんでした。つまり、箸で食事をしたのです。
ホトケ様になった時(亡くなった時)、インドでの食事法に習い、ご飯に指を立てる…つまり、箸を立てるようになったのは、そんな理由からでしょう。指を三本ご飯に立てる→"箸を立てる"になっていったのだと思われます。まあ、箸は二本なんですが・・・(笑)。
インドの習慣に習うなら、お釈迦さまも指で食事されたのですから、何も仏飯に箸や匙を立てなくてもよいわけです。まあ、亡くなった人の指を立てる訳にもいきませんけどね。長い歴史の中で、中国の風習を取り入れつつ、インドのやり方に準じながらも、良いところに納めた結果だと思います。
岡山地方では、このような仏飯の供え方は、前述したように葬儀葬送を出すまでです。霊柩車が葬儀会場を後にしたら、お茶碗は玄関先で石に叩きつけて割ってしまいます。
亡くなった方が愛用していたお茶碗を割る、つまり無くなる、もうご飯を食べるお茶碗は無いよ!、後ろを見ずにしっかり前を見てお浄土に向かって旅立って下さい、もう帰って来ちゃ駄目だよ(帰ってきたら成仏できないよ)と、一つのケジメとしての儀式がそこにあります。そして、お茶碗の中のご飯は箸と共にお棺の中に入れられます。