弔う

 日本において、仏教葬法が庶民と密接な関わりをもつようになったのは、十五世紀以降の事であるという。
 それまでは、〃野捨て〃という死体遺棄が一般的であった。
 例えば、九世紀ごろの京都では、街中に餓死者の遺骸や白骨がゴロゴロしていた。
 役人は、その片付けに苦労し、島田・鴨河原において焼却した遺骸遺体は五五○○に達したという記録があるとか。
 また、八八三年三月、時の政府は渤海の使節が京都に入るに先立って、通り道の諸国に路辺の死骸を埋めるよう指令したという。
 十四世紀においてさえ、備後の僧が京都で亡くなった時、よそ者という事で野捨てにされ、犬馬に食われそうになったという有様だった。
 これが、今日、私たちが日頃感謝してやまない遠い先祖の死に様である。
 それを思うと、形はどうあれ、手厚く葬ってもらえるだけでも有難いのかもしれない。

 先人が500年かけて築き上げてきた弔いの儀式が、今問い直されようとしている。愛する人との死別は、遺された者にとって大きなストレスに違いないのだが、その別れの儀式を軽視する風潮はいかがなものであろうか。葬式仏教を擁護するのではなく、ひとつのケジメとして考えてみたらどうだろう。
 なあなあで済ませてしまい、いつまでも過去を引きずって日常生活を難なく生きていけるほど人間は強くはないと思う。