牛飲水成乳、蛇飲水成毒

 同じ水でも、牛が飲めばこれを乳とし、毒蛇が飲めばこれを毒に変える。
 その意味は、真理は一つであっても、その解釈・作用は大きく変わってくるという事である。
 これは色々な物事に当てはまる。
 「酒は百薬の長」といわれるが、「酒は百毒の元」でもある。
 酒で身を滅ぼす人が多くなってきている。
 そもそも、酒を飲んでいるつもりが、いつの間にか酒に飲まれているなんて事も。
 男も女も朝から酒を飲むようになってきた。
 アルコールなしで生活できないのでは、酒を飲むために生きているとも言える。
 人の話を聞いても、自分にとって都合のいいところだけ聞き、都合の悪い部分は聞こえないのか、聞く耳もたぬのか、解釈に大きな違いが生じてくる場合がある。
 これでは、心の幅は広くならない。
 自分にとって都合の悪い部分もきちんと受け取って、必要であれば自分の考え方を変える努力がいる。
 一冊の本を読んでも、自分の都合のいい所だけの確認では余りプラスにはならない。
 自分の考え方と違う点について、なぜ違うのか良く考えてみなければならない。
 同じ会社に入った同期生が、何十年かたつと一方は重役や社長になり年収は数千万円となり、一方はまだ係長か課長ぐらいでモタついていると一年間の収入だけでも一千万円以上の差がついてくる。
 同じ水を飲んで乳にしたり毒にしたりするように、会社内においても生涯賃金では一億円以上の差が出るのはどうしてだろう。
 一方は、働く目的を明確にして会社や社会の役に立つ努力をし、片方は自分本意で少しでも楽をしようとした結果であろうか。
 水を乳に変えるのは、結果的に使命感をもったことになる。
 何故ならば、乳をたくさん出せば多くの人に役立つ。
 一方、毒を出せば自分の身は守ることが出来ても、人の役に立つことにはなっていないからである。