試行錯誤

 「試行錯誤」という言葉がある。
 人は、右を向いたり左を向いたりして迷い、随分と無駄な行為をする。
 ある生物学者がネズミの実験で、ネズミがやっと通れる通路を作り、その先に餌を吊した。
 しかし、通路に入ったものの右も左も見ることの出来ないネズミは、ついに餌に行き着くことなく死んでしまった。
 スイッチ・ポンで答えが出てくるようになると、試行錯誤は不必要になり、考えることさえ無駄になってしまう。
 コンピュータの知恵袋を頼りにすれば楽々だ、と若い世代が考えても無理はない。
 しかし、回り道も寄り道も人生には不可欠なものではないだろうか。
 失敗も痛みも苦労も、人生のうえでは絶対に必要な要素であろう。
 夜や冬、厳寒や漆黒があってこそ、暖かさや光の価値が一層輝くはずである。
 一見無駄のように見えることを通して、感動の振幅も増大する。
 機械を無感動の典型とするなら、人が機械と同じでは余りにも寂しいではないか。
 感動や創造という営みは、機械には絶対に出来ないことである。
 快適さをすべてに優先して、試行錯誤という無駄を切り捨てたならば、限りなく機械に似た人間になろう。