釈尊は、何時どこで生まれたか

 仏教の開祖は「お釈迦さま」という呼び名で親しまれています。
 正確には、「釈迦牟尼仏陀」あるいは「釈迦牟尼世尊」と言います。
 「釈迦」とは、お釈迦さまが生を受けた部族の名前で、本名は「ゴーダマ・シッダールタ」と言います。
 インドの古い言葉であるサンスクリット語の「シャーカ、ムニ、ブッダ」を漢字に当てると「釈迦牟尼世尊」になる訳で、「釈迦族出身で真理を悟った聖者」という意味になります。
 頭の「釈」と尾の「尊」で、通称「釈尊」の名で呼ぶことも多く、ここでもそれに習う事にします。
 さて、釈尊がいつ生まれたのか、その生年月日に関しては、今だに決定的な結論は得られていません。
 また、当然ながら没年も決定されていないのです。
 日本だけでなく欧米の学者の多くの試みにもかかわらず、残念ながら霧の中です。
 釈尊の生年と没年を決定する為には、インドの歴史を古代から正確に記述した「歴史書」のような資料が是非とも必要なのですが、残念な事にそれがありません。
 そこで、釈尊が生存していたと思われる時代に最も近い時期で、年代が比較的明確に決定できる歴史上の事件を探し出し、それを基礎として釈尊の生年と没年を算定する───という手法が用いられています。
 古代インド史の中で、年代が比較的ハッキリしている事件を求めると、アショーカ王の即位でしょう。
 アショーカ王は、仏教などを保護して人々の間に、自らの政治理念であるダルマ(法)を布告する為、インド以外の地も含め、各地に石柱を建ててその詔勅を刻ませています。
 それを手掛かりにすると、アショーカ王の即位は、ほぼ紀元前268年の頃と推定されています。
 この年を基準にして遡り、まず釈尊の没年を算定する訳ですが、この場合どのような資料に基づいて算定するかが問題となります。
 その資料とは主に仏教経典ですが、ご存知のように仏教は極めて膨大な文献を持っています。
 インドで成立した経典や文献が、インドの北方に伝えられた「北伝」と呼ばれるもの………スリランカなどの南方に伝えられた「南伝」と言われるものがあります。
 問題は、釈尊の没年からアショーカ王の即位の年に至る期間の数え方が、北伝と南伝とで異なる事です。
 したがって、北伝の信憑性を高く評価する学者と、南伝に史料価値を認める学者の算定とでは自ずと異ざるを得ません。
 この事が釈尊が、いつ生まれたを断定し得ない主な理由です。
 現在、一般に用いられている説は、釈尊は紀元前463年頃に生まれ、紀元前383年頃に没したとする中村元博士の説です。
 これは主に、北伝の資料に依るものですが、別に山崎元一教授「アショーカ王とその時代」(1982年、春秋社)の「付章 仏滅年の再検討」もあります。
 この論では、南伝の資料的価値の再検討がなされており、高く評価されています。
 ところで、釈尊の生誕の地は、一般にルンビニーであると言われています。
 この地は現在のネパールにあり、インドとの国境に近い所です。
 ここで釈尊が生まれた事は、アショーカ王の時代に既に知られていて、王自らもこの地を訪れ、そこに石柱を建て、釈尊誕生の聖地であることを刻み記しています。
 釈尊の生母マーヤー夫人は、ルンビニーにおいて池に沐浴し、樹木の下に立ち、その時に彼女の右脇から釈尊が誕生したなど………釈尊の誕生は説話的な要素に飾られています。
 その日は、インド暦の2月8日(又は15日)とされ、日本ではこれを4月8日としています。