お盆とは

 お盆とは盂蘭盆の略称で、インドの古語「ウランバナ」の発音訳(音写)である。
 意味は倒懸、逆さ吊りの事で刑罰の一つ。
 仏説盂蘭盆経にその由来が説いてあり、それが世に広まった。
 後世には先祖供養の色彩が色濃くなり、生前の悪業で倒懸の苦しみを受ける死者のために祭りを行い、三宝に供養してその苦を逃れるように祈るようになった。
 この行事はインドの古い農耕儀礼としてのピンダの祭りと、佛教の修行者が1年の反省として行う僧自恣会とが合わさったもので、それが中国に伝わってから生者の供養にまで拡大されて行った。
 日本では、推古天皇(606)に斎会を設けたのが始りとされているが、本格的にお盆会として行われたのは斉明天皇(657)が初めであろうと言われている。
 お盆には、人間の美しい心そして思いやり、慈しみの心が込められている。
 今は亡き先祖父母が生家に戻って来る。
 どうお迎えしようか?…と心を寄せ合う所にお盆の行事の出発点がある。
 今日では七月に迎える新暦盆・八月に迎える月遅れ盆・旧暦で迎える旧盆が、それぞれ地方によって行われている。
 お盆が近づいてくると店頭に、まこも・花・オガラ・お供え用品が並べられる。
 13日には精霊棚を出して飾り付け、夕方になると精霊が我が家に迷わず帰れるように…と玄関先で〃迎え火〃を焚く。
 キュウリやナスに割り箸を突き刺し、とうもろこしの毛を尻尾に見立てて牛や馬の形を作ったものをお供えする。
 これは、馬に乗って速く来ていただき、牛に土産物を乗せてゆっくり帰ってもらう供養の心である。
 そうめん、団子、すいか…季節の野菜や果物を供える。
 この他に、ナスやキュウリを微塵切りにしたものに洗い米を混ぜてミズノコというものを作って供え、別の水を入れた器に萩の箒(ほうき)を浸して供物に注ぐ。
 これを百味飯食と言って、法界万霊の精霊に供物を供える意味がある。
 15日の夕方には〃送り火〃を焚き、その一筋の火に「無事に本座へお帰り下さい」の願いを託す。
 そして、精霊棚の飾り物や供物は、まこもに包んで流してもらうのである。
 私たちはこのお盆の行事を通し、亡き人に語りかける事によって過ぎた一年をしみじみと振り返る事ができる。
 来るべき一年への誓いを込める事ができる。
 14日に供えるそうめんは、喜びを細く長くという縁起をかつぎ、15日の団子は六地蔵に供える意味で六個供え、百味飯食には亡き見ず知らずの方にも供養を捧げる意味がある。
 その事が、社会の中にあって他人にもちょっとした思いやり親切の徳を積むことに通じている事を示している。