彼岸法話1993

 一年中で、最も快適な季節に営まれるお彼岸は、インドにも中国にも見られない我が国独特の仏教行事です。
 この彼岸の行事は、一説によりますと、聖徳太子が大阪の天王寺で始めたと云いますが、それはともかく平安時代には、すでに年中行事になっていた事は確かなようです。
 『お彼岸』は、正式には「彼岸会(ひがんえ)」という仏教行事のことです。
 彼岸会は、昼夜の時間を同じくする春と秋の二分の日を「中日」として、前後三日間の七日間、主として一般の人々が仏道を修する縁をもつ期間です。
 『彼岸一日の善根は、他日の100日の善根に勝れ、彼岸七日の善根は、700日の善根に匹敵する』とも云われており、仏教行事としては、お盆や施餓鬼と共に最も人々に親しまれています。
 〈彼岸〉とは、インドの古語であるパーラミター(波羅蜜多)を訳したもので、「向こう岸に渡る」とか「正しい知恵」という意味です。
 向こう岸は仏さまの世界であり、真実の世界を表しています。
 こちらの岸は、私たちが生きている世界です。
 こちらの岸と向こう岸の間には、大きな河があります。
 河には、とうとうと水が流れていて、渡ろうとする人を煩悩という大きな力で押し流してしまいます。
 私たちが、明るく・正しく・穏やかな真実の世界を望んでいながら、つい煩悩という強い水流に押し流されて、この迷いの世界から一歩も抜け出せずにいる───これが現実です。
 仏は、この迷いの世界から抜け出して真実の世界に渡るためには、考えているだけでは駄目で、行動を起こすことを教えています。
 では、彼岸に渡るには何をどうしたら良いのでしょうか。
 水泳に自信のある人は、水流に負けないように身体を鍛えて、力強く泳ぎ切ればいい。
 泳ぐ自信のない人は、舟に乗るしかありません。
 しかし、舟にも自分で漕ぐものと、エンジン付きのものもあるのです。
 彼岸は、波羅蜜多(はらみった)と発音訳されたと云いましたが、その意味は「彼岸に渡る」です。
 そして、それはそのまま六つの行い「波羅蜜多行」のことになります。

 その、彼岸に渡る六つの行いとは………、
 (1)自分がして欲しい事は、すすんで人にする(布施行)
 (2)悪い事を退けて、善い事をする(持戒行)
 (3)不平や不満ばかり云わず、ガマンする(忍辱)
 (4)努力して励む(精進)
 (5)心の静けさを失わない(禅定)
 (6)偏見を持たず、ありのままの姿を見る(智慧)
という行いです。
 つまり彼岸とは、この六つの行を実践する週間でもあるのです。
 交通安全週間、防犯週間、愛鳥週間………等など、最近は様々な○○週間がありますが、それにもかかわらず「人間反省週間」とか「人間修道週間」といったものは聞いたことがありません。
 思えば不思議なことです。
 それは、現代社会が足元を見る知恵を失った時代であり、眼が外ばかりを向いていて、自分自身を見つめることを忘れている証拠ではないでしょうか。
 私たちの先祖は、人間の苦悩の根源である心の乱れを取り去り、外にばかり向いている肉眼を閉じて内に向かう心眼を開き、真の自己を磨き上げ、真実に生きる道を知るために、せめて春と秋の彼岸に「人間反省週間」、「人間修道週間」をもって人間完成の道標としたのです。
 御本尊をはじめ、御先祖さまに香花などを供え、その御照覧のもとで、もろもろの徳を積んでいく───それが彼岸の本来の姿なのです。