人間は平等に生きる権利がある。 文明国ならどこでもそんな綱領を明示している。 そして、それを疑う国民はいないであろう。 富んだ人は、少しでも貧しい者に恵みを与えよ。 健康な者は、病んだり障害のある人に救いの手を差し伸べよ。 当たり前のことになっている。 でも、なぜ人間は平等に生きなければならないのか。 原点に帰って考え直してみる必要がありはしないか? しっかりと、平等の原理を捉えていないと、勝手気まま、自分に都合よい平等を解釈しかねないからである。 釈尊は、八十歳の二月十五日、クシナガラの樹林で亡くなった。 クシナガラは、現在のインド北部の町カシアで、その樹林は「娑羅双樹」と呼ばれた。 病み疲れて、娑羅双樹の樹林に横たわる釈尊の身辺には、少数の弟子たちしかいなかった。 危篤状態に陥った釈尊の耳元へ、弟子の阿難が果敢な質問を放っている事実を「涅槃経」は紹介する。 「世尊よ、あなたは亡くなったらどうなるんですか」 釈尊は静かに答えた。 「焼かれて、灰と骨になるだけである」 「そんなバカな………釈尊ともあろうお方が、私たち凡人と同じように、ただ灰と骨だけになるなんて」 「阿難よ。 人間の死に差別はないのだ。 富める者、貧しい者。 賢者も愚者も。 また、善人も悪人も平等に死んでゆく。 死は死である」 ただし、それは肉体のことであって、仏法を信じた法身(魂のようなもの)は永遠に生き続ける───と最後の説法をするのである。 法身とは、人間には皆、仏性という魂の根っこがある───仏となる種があることを言い当てた表現である。 その論議はともかくとして、人間の死が「平等」であると言い切った釈尊の思想は、そのまま「だから生きる上でも平等でなければならない」という論理を明確にしている。 人生のゴールである死が不平等であるならば、おのれ勝手に生きてもよいことになる。 より高価な死を得るために、財貨を蓄える行為も許されるであろう。 だが、死を財貨であがなう事はできない。 勝手気ままな死は許されない。 平等の死を受容しなければならないのなら、生きることにもまた平等が求められてくる。 平等のモラルが、この思想によって確立するのである。 インドの近代詩人タゴールは、 「人類で、最初に平等の理を説いたのはゴータマ・ブッダ(釈尊)であった」 と言っている。 さらに、人間は長く生きてもせいぜい百年前後である───と決め付けている。 二千五百年の昔のことである。 不老長寿がまだ信じられていた時代に、釈尊はどんな情報をもとに、現代のこの常識へ到達し得たのだろうか。 何ものにも動かしがたい現実の無常を訴えつつも、釈尊の教えは、これを救う仏陀の慈悲も説いているのである。 |