精進料理は、動物を使わない

 一人の人間を一年間養うには、マスが300匹必要なのだそうだ。
 その一匹のマスを一年間養うには、カエルが300匹必要である。
 そのカエル一匹を一年間養うには、バッタが300匹いる。
 こうして見ると、300匹のマスは、カエルを90,000匹。
 90000匹のカエルは、バッタを27,000,000匹必要とする。
 そして、バッタ27,000,000匹のバッタは、一年間に草を1000トン食べることになる。
 と言う事は、人間一人が一年間生きるのに、マスならば300匹、カエルなら90,000匹、バッタならば27,000,000匹の命が必要の勘定となる。
 ただ、人間は、一年間にカエルを90,000匹も食べるワケではないし、バッタを27,000,000匹食べる訳ではない。
 ましてや、草を1000トンもモグモグと食べるのでもない。
 草1000トンを食べた27,000,000匹のバッタを食べた90,000匹のカエル分に相当する300匹のマスで一年間を生きる訳だ。
 つまり、マス一匹の裏側には300匹のカエルと90,000匹のバッタの命が隠されていると知らなければならないのだ。
 人間 一人=マス 300匹。
 マス 300匹=カエル 90,000匹
 カエル 90,000=バッタ 27,000,000匹
 合計、27,090,300匹の命が、人間一人の一年間を支えていることになる。
 これは一年間の話だから、例えば60年の歳月だと実に1,625,418,000匹の命が必要になるのである。
 16億を超える命の総数の上に、人間の一生が築かれるとすれば、あだやおろそかな人生を費やすことは誠に申し訳ないことである。
 それだけの命のつながりを得て、今の私が有り難くも生きている。
 水と空気と太陽の光さえあれば命を永らえられる植物は別だが、生き物は残念ながら
他の生き物の命を犠牲にしないでは生きられない。
 生きとし生けるものの悲しい宿命とも云うべきものだ。
 生命のある事の裏側には、何と多くの生命の犠牲があることか。
 自分の命を養うための生命の総数を少なくしようとすれば、動物の肉を避け、植物を中心に摂取することになろう。
 そして、その植物すらも生命の固まりであることに思いを馳せれば、一粒の米たりとも心して口に運ばなければ申し訳ないではないか。
 食事の時に、「いただきます」と言うのは、「命を口にさせていただきます」の事だ。