試行錯誤

 小学低学年の女の子が、いとも簡単に微分を解いている。
 テレビに映されたのは、子どもの能力が無限である事と英才教育が必要…というものであった。
 ところが、レポーターが「分からない」と首を傾げると、その子は冷たく「会社で習いなさい」と軽蔑するような言葉を発したのである。
 私は、唖然とした。
 親は得意満面とした表情で、わが子を尊敬の眼でうっとりと見つめていた。
 でも、ちょっと待て。
 大学で習う微分であろうと積分であろうと、所詮はやり方の習熟であり、極論すれば猿真似の世界であるという事だ。
 だから、速く正確にどんどん問題を処理する能力は養われるだろうが、それは教えられた事の条件反射に過ぎないという事である。
 つまり、新しいものを創造する能力とは別物だという事だ。
 だから、微分を解いたその子が特に優れているとは思えないのである。
 もちろん、その子のように英才教育は、時間とお金をかけるのだから直ちに成果を挙げるだろう。
 しかし、過度の期待は禁物だと思う。
 なぜなら、最善の教材と方法で一方的に教えられれば、誰だって最短時間で解いていける。
 しかも、最短時間という効率が重視されれば余計なものは考えない方が得なのだ。
 だが、この余計なものの中に人生の宝が少なくないのである。
 つまり、回り道である。
 試行錯誤こそ学問の基本であるはずだ。
 さらに言えば、試行錯誤は高等動物の特徴でもある。
 私たちの人生の幅を豊かにしてくれるエネルギーの根源なのである。
 自由がなければ試行錯誤もあり得ず、ロボット化された人間になるだろう。
 そんな人間になる為に生きているのではない。
 だから言いたい「回り道しなさい、試行錯誤しなさい」と。
 それが生きている事なんだと。
 試行錯誤は、人生のミネラルだ。
 これがなければ、早晩枯渇する…と警告したいのである。
 促成栽培の野菜並に、ビタミンもミネラルも足りないなんて味気がないっすよ。