※雑誌に載っていた記事から(出所不明) ここ数年来、我が国の戦争責任や戦後処理をめぐる問題が議論されるようになった。 「ようやく…」という感がするが、若い人たちとこの問題を話していて痛感させられるのは、彼らにとって「戦争」や「戦後」がいかに遠いかという事だ。 それをよく示すのは、日本の戦争や戦後と深く結びついた言葉の多くが、彼らにはすでに死語と化している事である。 いや、死語というよりも厳然たる歴史的事実・それもたかだか半世紀前の歴史・を指す言葉がまったくと言ってよいほど通じないのだ。 例えば、笑い話のようだが、最近びっくりしたのは、「大本営参謀長」を「おおもと…」と読んだ若い人がいた事だ。 どうやら「営」を「いとなむ」として、人名だと勘違いしたらしいのだが、これに類する話は、「エェー、真珠湾ってハワイなんですか」とか「台湾は日本の植民地だったの?」とか 、枚挙にいとまがない。 こうした歴史を知らない若者たちが、昨今の海外旅行ブームに乗って、アジアに出掛けて行く。 バリ島の海でサーフィンに興じ、シンガポールで買い物やグルメを楽しむ彼らの無邪気さ、こだわりの無さは、私などには一層まぶしく羨ましくさえある。 しかし一方では、戦争被害を被った東南アジアの国々で、私たちにとってはすでに死語となった言葉が今なお戦中の忌まわしい記憶と共に生きているという現実がある。 例えば、インドネシアで昨年、日本の戦後補償問題とからめて「従軍慰安婦」という言葉がそのまま使われていた。 「労務者=ロウムシャ」もその代表例だ。 この言葉は日本ではほとんど使われなくなったが、インドネシアでは太平洋戦争中、日本軍によって徴用された強制労働に従事させられた人々を指す言葉として何の説明もなしに今でも通用する。 これらの言葉は東南アジアでもやがて風化していくかもしれない。 しかし風化のスピードは、日本よりはるかに遅いだろう。 若者たちの、そして日本人の歴史健忘症は笑い話どころではないのである。 |