日本全国に広まった弥八麦の由来

 昔、ある村に弥八爺さんと云うお百姓さんがいました。
 若い頃から村一番の働き者で、夜明けと共に家を出て働き、日暮と共に家に帰ってきました。
 春の終りの頃のある日、
 弥八爺さんは麦の畑を見に行きました。
 すると、生え揃った麦の穂の中に、スバ抜けて大きい穂が一本見えるのに気がつきました。
 まだ若い麦の実が、一粒ひとつぶ大きいのです。
 「なんて立派なんだろう。
 一体どうして、一本だけこんなのが生えたのかな」
 その夜、弥八爺さんは、眠りに落ちてから夢をみました。
 あの大きな一本の穂が、みるみるうちに増えて畑中に広がり、畑は見事な金色の穂で覆われる───という夢でした。
 「そうだ、一本の穂から………」
 やがて六月になり、麦の刈り入れの時が来ました。
 弥八爺さんは麦を刈ると、あのズバ抜けて大きい一本だけは別にして、そして秋になってその穂を大事に畑に蒔きました。
 あくる年の六月、それから数十本の、とび抜けて大きい穂が実りました。
 次の年には、数百本になり、その次の年には数万本になりました。
 食べてみると、その大粒の麦は、今までの小粒の麦より、ずっと美味しいのです。
 話を聞いて、村の人たちが弥八爺さんの所に、その麦の穂を分けてもらいに来ました。
 弥八爺さんは、気持ち良く種を分けてやりました。
 こうして何年か経つうちに、村中の畑に大粒の麦がたくさん実るようになりました。
 村の人たちは、その麦を“弥八麦”と呼びました。
 やがて弥八爺さんは、慎ましく一生を終えましたが、その麦の種は、日本全国へ広まっていったのです。
※河口豊氏投稿