今から四百年前、徳川家康の家来に土井利勝という殿様がいました。 ある時、利勝が江戸城に行こうと自分の居間から廊下に出た時、磨かれた廊下に何かが落ちていました。 拾ってみると三十センチほどの唐糸でした。 後に控えていた家来たちは、 「廊下の掃除が行き届かぬぞ」 と叱られるかとビクリとしましたが、殿様はそのまま後を振り返って 「大野はいるか」 と怒った様子もなく呼びました。 呼ばれた大野仁兵衛は、利勝のお側付きの家来でした。 「これをお前に預けるから、粗末にしないでしまっておいてくれ」 そう言って唐糸のくずを仁兵衛に渡して、城に出かけて行きました。 それを見ていた他の家来たちは、 「大役をいいつかったな」 「お前にちょうどあった役だぞ。 殿様もケチな方だ」 と笑って言いました。 仁兵衛は唐糸くずを大切に腰巾着に入れ、寝る時も枕の側に置いていました。 「やい、糸くず仁兵衛」 と初めのうちはからかわれていましたが、三日、五日と経つうちに誰も糸くずの事は忘れてしまいました。 それから三年ほど過ぎたある日のことでした。 城内の相談を終えた利勝が、突然、 「仁兵衛、これへまいれ」 ………「はっ、何のご用でございますか」 「三年ほど前、お前に唐糸くずを預けておいたと思うが」 「はい、お預かりの品、ここにございます」 と仁兵衛は、すぐに腰巾着から唐糸くずを取り出して、利勝に差し出しました。 「うん」 利勝は頷いて受け取ると、脇差のさげおを繕いました。 「皆の者よく聞け。 この唐糸は遠く唐(中国)を経て、多くの人の手を通し伝わった貴重なものだ。 今、この糸で脇差のさげおを繕うことが出来たし、ワシは立派な心がけの侍を見つけることが出来た」 と言って、仁兵衛に三百石の加増を褒美として与えました。 ※河口豊氏投稿 |