「方便」という言葉は、私たちの間では余り良い意味に使われない事が多い。
「うそも方便」といった具合に、「便宜的な手段」とか「その場しのぎの計略」の意味に使われている。
もともと「方便」という言葉は、本来、仏教から出てきた言葉である。
辞書には次のように書いてある。
1 仏が衆生を教え導く手段。
2 真実の教えに導くための仮の方法。
3 便宜的手段。「うそも方便」。
私たちは、もっぱら3の意味にかぎって「方便」を使っていることになる。
実は、仏教本来の意味は、1であり2なのである。
次のような話がある。
5世紀の中国に武帝という南朝梁(りょう)初代の王がいた。
彼は、仏教を保護し自らも教典の講義をするほどの学識を持っていた。
その武帝が、禅宗の始祖である達磨に問うた。
「ワシは、これまで多くの寺院を造り、教典を写し、僧たちに援助してきた。
これらの行為には、どんな功徳があるか」
「功徳など無い」と冷然に達磨は答えた。
その答えは武帝の予期せぬものであったから、あわてて別の質問をした。
「最高の真理とは何か?」
「最高というものも糞もない」
「それでは、お前は一体何者だ?」
「知らんね」
と、取りつく島もない。
武帝は問答をあきらめ、達磨はさっさと座を退いて立ち去った………。
歴史家は作り話だと言うが、その真意はともかく、ここでは一つの公案として捉えておく。
公案とは、禅の師匠が弟子に与える試験問題で正解がない。
各自がそれぞれ考えるより他ない。
さて、武帝と達磨の話であるが、おそらく武帝は多くの寺院を造ったことに執着していたのではないだろうか。
そっけない返事をする達磨には、その結果に執着する武帝がバカらしかったのだろう。
つまり、仏教は結果ではなく、その過程を重んじる教えであると云う。
もう一つ、方便に関する話を紹介し、公案として考えてみよう。
〈近づこうとする歩み、それが生きるということ〉
大勢の旅人が隊を組んで砂漠を進んでいる。
砂漠の向こうに宝のありかがあるというので、そこに向かって皆が一歩一歩進んでいく。
しかし、砂漠はどこまでも続き、みんな疲れ果てて先へ進のがもうイヤになってきた。
「宝なんかいらないから帰りたい」と言う者も出てきた。
その時に、一行のリーダーが不思議な力(神通力)で砂漠の中に幻の城を出現させて、「あそこが宝のありかだ。あそこまで行けばいいんだ」と言ってみんなを励まし、引っ張っていく。
そして、幻の城の中で休憩をとり、皆の疲れが癒えると、「本当の目的地はもっと先にあるんだ」と言って再び出発する。
みんながまた疲れたら、また幻の城を現して休ませ、疲れが癒えたらまた出発させる。
かくて一行は、無事に目的の宝のありかに到達できたのである。
これと同じように、仏はいろいろな手段によって私たち衆生を導いて下さるのである。
私たち凡夫には、厳しい修行を独力でやり抜く力がない。
途中で一息いれる場所が必要である。
最初から大きな目的を示されても、かえって私たちは怯(ひる)んでしまう。
あと少しで達成できる というくらいの目標をいつも掲げ、それを達成したらもう少し上の目標を持ち、また達成したら………というようにして、最終の大きな目的に向かって進んでいく。
そのようにして始めて私たちは大きな距離を歩んでいける訳であり、そのようにしてしか歩めないのである。
「方便」という言葉の語源は古代インド語の“ウパーヤ“で、 近づくという意味である。
だから、方便という教えは、近づくことが大事なんだ 目的地に行くことよりも目標を目指して歩む一歩一歩の歩みが尊いんだ という教えなのである。
砂漠の一行の話は、法華経に説かれているが、これは法華経に限らず仏教全般を通して述べられている思想なのである。