仏教の説く「智慧」とは、どのような智慧か?
こんな話がある。
明治時代、ある禅僧(禅宗の僧侶)が大学の倫理学の先生たちに、禅の教えを説いた。
その時に、次のような問題を皆に考えさせた。
「川にあなたの母と妻が溺れている。
どちらの方を先に助けるべきか?」
大学の先生方はアレコレ議論する。
儒教の立場では、何よりもまず「孝」を重んずる原理であるから、母を先に助けるべきだ……と主張する先生もいる。
いやいや、西洋哲学では家庭の基本原理を夫婦においているから妻を助けるべきだ……と言う先生もいる。
アレやコレや、議論はまとまらない。
「おまえたち、そんなに議論ばかりしていると、二人とも溺れ死にするぞ!
早く助けんかい!」
禅僧は、そう叱った。
でも、叱られても、おいそれと結論は出ない。
「和尚さんであれば、どうされますか?」
誰かが禅僧に尋ねた。
すると、和尚はこう言った。
「わしか。
わしであれば、まず近くにいるほうを助ける」
そう………これが智慧である。
私たちは凡夫の知恵で、「母が先か、妻が先か」とこだわる。
それでは、とっさの場合に人を救えない。
この場合、母も妻も溺死させてしまう。
仏教の説く智慧には、そんなこだわりはないというお話でした。
法明界から転載