昔々、一人の貧しい男がいた。
この男は、修行僧の食物を奪った罪で、死んでから餓鬼道に堕ちた。
餓鬼道に堕ちたこの男は、永い永い間、この上ない苦しみを味わった。
過去の罪を精算し、再び人間界に生まれることが出来はしたが………。
人間界に生まれ変わっても、餓鬼道と同じような苦しみが、また長い間にわたって続いたのである。
それは大変な苦しみであったが、幸いな事に、釈尊が世に出られた時代であったので、男は出家して釈尊の弟子になることが出来た。
男は、喜んだ。
教えを守り、教えに従って修行し、悟りを得ようと頑張った。
男は、今日も托鉢に歩いていた。
ところが、誰一人として、この男に食べ物を施そうという人がいない。
五日たっても六日たっても、七日たっても食べ物を得ることが出来なかった。
その有様を見ていたのが、釈尊の弟子の中で神通力がもっとも優れていると云われた目連であった。
目連は、毎日食べ物を求めて托鉢している男の姿を哀れに思った。
そこで、なんとか助けてやりたいと、自分が托鉢で得た食べ物を、その男に与えようとした。
「さ、これを食べるがよい。
お腹がすいているんだろう」
男は、飢え死にするほど、お腹がすいていたので、たいそう喜んだ。
目連は、食べ物を男の鉢に入れてやった。
と……そのとたんである。
バサバサと音がして、空から大きな鳥が舞い降りてきた。
そして、アッという間に、男の鉢から食べ物を奪って飛び去っていった。
釈尊の弟子の中で、智慧第一といわれた舎利弗も、心を痛めている一人であった。
舎利弗も、その男に何か食べ物を与えてやりたいと考えていた。
「さ、これを食べなさい」
と、その男の鉢に食べ物をいれたとたん………。
今まで美味しそうだったその食べ物が、土に変わってしまったのである。
食べようとしたその男は、手に土をつかんだまま、今にも泣きだしそうな顔をした。
目連や舎利弗の様子を見て、”何とかしてやらねば“と思案していたのは、弟子の中でも人格者として知られる加葉(かしょう)であった。
〔ひょっとすると、あの男の鉢の中に食べ物を入れてやるから、鳥にさらわれたり、土に変わってしまうのかもしれない。
それなら、鉢に入れずに、そのまま口の中に入れてやったら、うまく食べられるのではないか……〕
加葉は、そう考えると托鉢で得た食べ物をその男の口のところへ持っていってやった。
「さあ、口を開けてこれを食べるんだ。
食べないと飢え死にしてしまうよ」
加葉は、優しく言った。
男はうれしそうに、加葉の差し出す食べ物を口に入れてもらおうとした。
ところが、どうしたことだろう。
男の口は、唇がピタリとくっついたままで、どう努力しても開けることが出来ないのだ。
なんとか開けようとするその男の目から、とめどもなく涙が流れ落ちた。
食べたくても食べることが出来ない餓鬼道の苦しみは、まだ許されていなかったのだ。
釈尊は、ここ数日間の弟子たちの様子をジッと見られていた。
釈尊は、思った。
〔これだけの永い間、苦しみを受けてきたのだ。
もう、この男は許されてもよいのではないか〕
そこで釈尊は、その男が餓鬼道と同じ苦しみを味わっている今の姿から離れることが出来るようにと、大いなる慈しみの心をもって願を立てられた。
…………………………。
男は、本当に久しぶりに食べ物を味わうことが出来た。
その香りと味とは、この上もないほど素晴らしいものであった。
男の目からは、大粒の涙がこぼれ出て食事を濡らすのであった。
そして、釈尊はその男のために説法をした。
男は真実の教えを聞き、その教えに従って一生懸命に修行をした。
その甲斐あってか、やがてその男は人々から拝まれるほどの素晴らしい僧になっていったという。