真剣さは墨が知っていた

 書道の世界において、全精神を投入して真剣に書いた字を電子顕微鏡で一万倍から五万倍に拡大してみると、墨汁の粒子がきれいに並んで一粒一粒が活き活きとして見えるという。
 いくら専門家が上手に書いたつもりでも、精神が込められていないと粒子は乱れ、一粒一粒が死んでいるという。

 こんな話は聞いたことがないだろうか。
 書道を習う時に、素質のある人は短期間で上達するが飽きがきてやめてしまう人が多いという。
 ところが、素質のない人は、それこそ一所懸命になって打ち込む。
 でも、なかなか上達しない。
 それでも諦めないで長い期間がんばっていると、個性豊かな良い字が書けるようになるというのである。
 人が見ていると一所懸命に仕事に取り組むが、誰も見ていないと手抜きをする人がいる。
 しかし、本物で厚みのある人間は、人が見ていようと見ていまいと、きちんとやるべき事を行なうものである。
 そもそも誰も見ていないといっても、実はそうではない。
 天は天眼をもって、いつも見ている。
 また、自分が見ている。
 いくら人をだませても、自分をだます事はできない。
 自分が自分を信じられなくて、どうして自信のある仕事ができよう。
 「自信」は、自らを信じることである。
 人なんか見ていてもいなくても問題ではない。

 ある有名な音楽家が言っている。
 「一日稽古を休むと自分が気づく。
 三日稽古を休むと師匠が気づく。
 一週間稽古を休むと観衆が気づく」そういって、毎日一日も欠かさず稽古を続けている。
 これから何事についても、取り組むものについては自分が納得するまでやってみよう。
 他人なんか見ていても、見ていなくてもいいではないか。
 自分が取り組んでいるものについて、誰にも負けないものにするには、誰にも負けない真剣さをブチ込んで取り組みたいものである。