勝負は自らの敗着によって決まる

 プロの碁や将棋をテレビで見ていると、勝負が終わってから「敗着はどの手ですか?」とプロの解説者に質問することが多い。
 すると解説者は、「この手ですね」と明確に指摘する。
 アマチュアの碁や将棋では、「敗着は?」と聞かれても分からない。
 敗着の手がいっぱいあり過ぎるのだろう。
 プロの高段者でも、アマチュアの碁や将棋を初めから並べることは難しい。
 なにしろ定石通りに進んでいないし、中盤の戦いにしても支離滅裂だからだ。
 プロでも、タイトルを持つほどの実力の人たちの戦いは、勝負は敗着によって決まる。
 おそらく十局のうち九局ぐらいまでは敗着によって勝負がつく。
 高段者の戦いとはいえ、迷いに迷っていることがよく分かる。
 秒読みに追われ、ここに打とうと思っても迷って、とんでもない所に着手し、本人も苦笑いしている。
 タイトル保持者や、優勝する人の手は見ていても安心できる。
 敗着がないからである。
 また、お互いの心理戦も面白い。
 苦戦している時にも、相手に悟られないようにしている。
 すました顔をしていると、かえって優勢な方が苦しくなってくることもある。
 大山永世名人は、そうした相手の状態をつかむため、相手が用便などで席をはずした時に座布団のシワを見たりした。
 苦戦している時は、座布団のシワが前の方に寄っているのだという。
 また、相手の側に回って局面を見ることも参考になる。
 プロともなると、盤上の戦いもさることながら盤外の戦いにもすごいものがある。
 まさに、口八丁手八丁である。
 「まいったね、これでつぶれだね」などと相手が言えば、優越感をもつものである。
 ましてや、「ああ、ここもやられてしまった、もうダメだ」などと言いながら、他に着手すると、ついついトドメを刺さないで自分も他に移っていく。
 そうこうしていると、周囲の状況が変わり、立場が逆転している事だってある。
 時には、トドメを刺さなかった事が敗着になってしまう。
 私たちの人生においても、やるべき事をキチンとやる事によって遠くまで行ける。