新人物往来社への寄稿

 新人物往来社から「不受不施日蓮講門宗の沿革」の原稿を依頼され、作った文章がこれです。

(1)創設者 日蓮聖人を宗祖と崇め、不受不施再興の祖として慶長年間の日奥上人、そして寛文年間の日講上人を派祖とする。江戸時代の弾圧禁教を経て、恵蓮院師と本華院師を明治再興の祖として敬う。
(2)現後継者 横山孝順(管長、第四十一世)
(3)沿革 慶長年間に法華未信者である豊臣秀吉の大仏千僧供養(京都東山)を契機として、旧来の不受不施義を貫いて不出仕を唱えた日奥師は出仕派の長老たちと対立する。秀吉亡き後、家康によって公儀違背の罪で壱岐対馬に流罪となる。その後、池上と身延の対論を経て寛文五年(一六六五)に江戸幕府は土水供養令を発する。日蓮宗の不受不施寺院は法華未信の徳川から寺領供養の受領証である手形の提出を拒んで抵抗したが、幕府はさらに不受不施寺院の寺請けを禁じるなど宗教政策を講じた為、不受不施を信奉する僧俗は地下に潜行し、かくて不受不施派が成立する。この時、抵抗の指揮を執った不受不施僧の日講師は宮崎県の佐土原に流罪となる。その後、不受不施内に純粋な不受不施信者と表面上は他宗他派に装った内信者を混同する一派が現れたが日講師は混同を許さなかった。江戸時代、秘密結社的存在であった不受不施派は、明治になって信教の自由が認められるに及んで再興の為に恵蓮院師が東奔西走するが若年にして死去され、本華院師によって明治十五年に不受不施日蓮講門派として再興し現在に至る。
(4)本尊 日蓮聖人が開顕したお曼陀羅または書写
(5)教典 法華経
(6)教義・実践 常住不滅の本仏釈尊を中心に据え、諸経の王たる法華経を依り所の経典として、法華経が説くところの浄土をこの世に実現させることを目的とし、この点では一般の日蓮宗と何ら変わりはない。不受不施思想は、教えの面における折伏と経済的圧力を加えて入信を計る不施思想が結びついて発展したものである。つまり、供養の上においては未信の者からの供養を僧は受けず、信者は不受不施僧以外の僧に供養しない。一般にこれを不受不施といい、布教伝道活動上、重要なポイントになっている。
(7)儀式行事 再興会(三月十日)、春彼岸会(三月二十一日)、お盆会(八月十七日)、秋彼岸会(九月二十三日)、大阪泉州日相寺参拝(四月十一日~四月十二日)、九州宮崎県佐土原日講さま参り(四月下旬)、川施餓鬼(八月下旬)
(8)教勢 傘下の団体数七、傘下の法人数四、教師数八、信者数二万五八九三人。

※宗教年鑑に掲載されている古いデータも使用しています。特に、(8)教勢については、かなり水増し状態ですね。