寺報コラムから

後悔先に立たず

 『まず臨終のことを学びて他事を学ぶべし』とは日蓮聖人の御言葉です。
 人の生き方が様々なように、死に方もまた様々なようです。
 今まさに人生を終えようとしている人が、力を振り絞り、人生を振り返って語った言葉が遺されていますので紹介します。

・自分自身に忠実に生きれば良かった
・あんなに一生懸命に働かずとも良かった
・もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった
・自分をもっと幸せにしてあげれば良かった
 看護師が聞いた『死ぬ直前に聞いた後悔の言葉』から

 後悔先に立たずと言われますが、実に切実な思いがそこにあると思います。
 幼い時には死そのものを知らず、若年にして肉親の死を体験し、親を送り出して死というものを身近に感じるようになる。
 自分の死の前に、そういう体験を得るのは、ある意味幸運なのかもしれません。
 そして人は、後悔の念をもったまま死を迎えてしまうものなのだという現実も知ることになるのです。
 拙僧がまだ駆け出しの頃、法事の席で「死後の世界があるのか否か、戦友とよく議論するが結論が出ない。
 若上人はどう考えるか?」と聞かれたことがあります。
 死後の世界があるかどうか、お釈迦様に何度も質問した弟子もいました。
 要は、後悔の念を残さぬように今なにをしたら良いのか?、何をすべきか?、に尽きると思います。
 死に直面した時、唯一頼りになるのは、おそらく自分の心だけです。
 その心に迷いがあり、後悔の念が残っていれば、悩み苦しむことになるのは目に見えています。
 そして、どのみち後悔が残るなら、出来るだけのことはやった~と思えるだけの人生を送っておく必要があるかと思います。

 臨終のことを学ぶとは、自分の死を想像・直視してみることであり、それは、怖くて重い瞬間です。
 しかし、いつかその日が、その時が必ず来るのです。
 既にそれを体現し、間近に示してくれた存在、人生の大先輩がいた。
 そこに何を思い、何を念じるか…

寺報200号から転載