日常生活の朝夕に、お仏壇にお線香を手向ける。
さて、何本差し上げるのが良いのだろうか。
お線香は、字のごとく「線状のお香」。香料や接着剤、着色剤を煉り合わせて生成したものである。
およそ江戸時代初期から作られるようになったそうな。
香炉に香炭を備え、香木の粉片を焚く「焼香」と比べ、手間が掛からず長時間の使用も可能になった。
もとは、お釈迦様に信者の方が香木を布施したことが始まりという。
暑いインドでは、お香を焚いて気分的に暑さを和らげるセラピー(癒やし)の用途があったようだ。
お釈迦様=仏さま=ホトケ様=死者=ご先祖様と繋がり、お線香を手向ける事が一般的になった。
よって、お線香は「香りの供養」であることが理解できる。
極端な話し、煙は無くても良いのである。
お線香は供養のためのアイテムの一つである。
いい香りを差し上げる意味からすれば何本だって構わない訳だが…。
仏教には、三宝様という教えがある。仏・法・僧という三つの宝である。
法華で言えば、釈尊・法華経・日蓮聖人となる。
例えば、私たち凡夫が、成仏への道筋を示すのは困難だから、三宝様に引き導いて頂くために供養する。
そういう意味から三本のお線香を手向ける。
一本ずつ供えるか、三本まとめて供えるかは作法によるけれど。
三宝様に対応するから三本であり、二本の場合は意味を変えなければならない。
三宝様に二本は対応しないからである。
二本の場合は、三宝様一括りに一本、ご先祖様一括りに一本を手向けているのだという意をお線香に込めるということになる。
ちなみに、一本線香は葬儀の時に用いるので日頃は手向けないようにする。
非日常的な葬儀に用いる作法と、日常での作法に一線を引いておくのは日本の文化だからである。
葬儀での一本線香は、亡くなった方に手向けているという意味がある。
その人、一人=一本に対応しているのが理解できるだろう。
要は、お線香(お香)をあげる本数には意味がある、それなりの意味を持たせているということ。
意味づけによって本数も変わってくるのである。
「何本だって構わない」というのは、供養の心・作法を押さえていればこそであるが、日常的には、三本か二本というのが一番現実的だと思われる。
そして、三本(二本)であることの意味を分かりやすく説明もできる。
最も基本にのっとったお線香の手向け方が三本だと言えようか。
そうそう、くれぐれも、ちゃんと念を込めることを忘れずに…。
寺報202号から転載