寺報コラムから

家族葬の話

葬儀の姿は時代と共に変化する
 土葬や火葬の違いもあるが埋葬に対する考え方も変わってきた。
 概して、人の死をどう受け入れようとしているのか儀式や葬送にその思いが反映されるものである。
 最近は『家族葬』なるものが普及している。
 規模を小さくした葬儀と理解している人も多く、家族レベルでの葬儀として定着しつつあるようだ。
 種を明かすと、この名称を広めたのは葬儀業者である。
 葬儀費用に関しては従来の会場葬儀とほとんど変わらない。
 簡単に出来るというイメージが先行し、多少語弊があるが、家族近親者だけで葬儀を出したい場合の例として普及した面もあるだろう。
 昔『密葬』というのがあった。
 文字通り『秘密に葬儀』で家族や親しい親戚筋だけで葬儀を出す。
 ただ、後日ちゃんと告別式を行うことが前提にある所が異なる。
 最近、家族葬のあり方に疑問を投げかける意見を散見するようになった。
 その多くは『故人にお世話になったのに供養のお線香を手向けることも気持ちばかりの御供えも叶わない』というもの。
 満中陰も過ぎたあたりで風の便りに聞いて驚くという場合も。
 生活環境が昔と変わり、仕方なく家族葬を営まざるを得ない例もあって一括りには言えないが、お世話になった方の死に面するということが縁遠くなってきたことだけは否めないだろう。
 亡き人がどんな葬儀を望んでいるだろうかと気を巡らしても、それが叶わないこともある。
 喪主遺族と亡き人との人間関係、死に対する考え方、葬送の後のことなど、様々なことが葬儀の形を作って行くのだと思います。
 家族葬もその中の一つなのでしょう。
 そしてまた変わって行くのである…

寺報218号(H.28)から転載