寺報コラムから

宗教と科学

 宗教と科学は、人類が地上で生き抜き、社会・生活を向上させ、個々においては人生を幸せにしていくための知識であり知恵であり武器でもあると云えます。
 科学の始りは十六世紀の地動説の登場からと云われ、万有引力の法則や十九世紀の電磁気学によって基礎が築かれました。
 現代は相対性理論を利用したGPS、量子学を用いたLSIなど私たちの生活に役立っています。
 一方、宗教の始りはハッキリしないが石器時代にまで遡る。
 その証拠は遺跡にみられる死者の儀式的な埋葬である。
 儀式的埋葬は人間行動の進化において重要だと考えられ、これは生と死の認識・来世や死後の世界を信じていたことを意味しているという。

 どんな宗教にも程度の差こそあれ死生観が奥にある。
 死後の世界を説くと同時に「生きる」ことについても滔々と説いている。
 また、人が社会を構成し、その秩序を保つために一役かっている点も見逃せない。
 一説には「宗教は道徳から派生した」という学者もいるほどである。
 そういう意味では宗教に無関心でいることは社会生活を営む上で少々問題があるだろう。
 社会のあり方や働き方、人権等について一考する際、宗教の思想と全く無縁という訳にはいかないということだ。
 皆が等しく幸福になれる道を考え探ることは社会の秩序を保つことにもつながる。
 社会に良くないことが蔓延するのは、そういうことを考えなくなったからではないだろうか。

寺報222号から転載