寺報コラムから

お茶でも一服(8

 戸守行で忙しい十二月に二十もの葬儀を勤めた記録があります。
 当時は三人僧が標準でしたので他寺の葬儀もカウントされますがそれでも多い。
 一日から始まり特に下旬には毎日のように大晦日まで。
 斎場から帰寺すると次の葬儀が入っている~の繰り返し。
 しかし、戸守行に穴を開けることなく正月を迎えたと云います。
 昭和五十年頃のことで、もちろん父日進師も本山の日明師も西川の日念師もバリバリの時代でした。
 後年、何気ない雑談の中で聞き「そんなに忙しいのに、どうやって戸守行を成し遂げたのか」訊ねてみましたが「よく分からん」と言ってました。
 どう考えても凄いと思います。

寺報222号から転載