正義の叫び

日奥師 迫害を受ける

 法華宗諫状を太閤秀吉に献上の後、日奥師は唯一人あらゆる迫害を受けるのであります。
 周囲は悉く邪法邪義の徒となり、日頃は、法華経を口にし妙法を唱える日蓮宗同門の者までが獅子身中の虫となって、日奥師に反抗するに至ったのです。
 つまり四面楚歌、八方はすべて敵人となったのでありました。
 日奥師はここに至って、不受不施運動を起こし、日蓮聖人の正義を堅持して、その教えを守らねばならない必要から、我が日蓮宗不受不施の宗派を興したのであります。
 講門派と云うのは、日蓮聖人の精神を汲んでその祖述をした人が日講師であるから、不受不施講門派と申します。
 すなわち、日蓮宗とは教えを広めた人、不受不施とはその主義精神、講門派とはその歴史の意味であります。
 その系統は、日蓮聖人・日朗上人、日像上人、大覚大僧正、朗源上人それより続いて、日実上人は京都本山・妙覚寺の開山。
 それから、日護上人・日賞上人………づ〜と参りまして、日典上人までは京都妙覚寺の貫主として大伽藍に座っておられました。
 しかし、秀吉の大仏供養を縁としてから以後は、その主義のため、清節を守って寺を捨て去り、天下を家として街頭に踊り出られ、草を枕に水を飲み、あらゆる迫害を受けつつも厳然として獅子吼を続けられたのであります。
 住むに家もなく、食うに食なく………僧俗共に、この間は実に御難儀をされたのでありました。