Q&Aコーナー

お経は、いつ、どこで、だれの手によって、どんな目的で作られたのでしょうか。

 お釈迦さまが亡くなられたのは一説によると紀元前三八三年。
 今からざっと二千四百年も前のことです。
 多くの弟子たちは、偉大なお釈迦さまが教えになられた大切なことを、ずーと後世の多くの人たちのために記述して残そうと努めました。
 亡くなって、四ヶ月の後、記憶力のすぐれたお弟子さんを中心として、お経の編集会議が開かれました。
 この会議のことを結集(けつじゅう)と呼んでいます。
 とにかく偉大なお釈迦さまのことですから、西紀(キリストが生まれた年)以前に三回ぐらい大きな結集があり、たくさんのお経がインドばかりでなく、南方のセイロンやタイ、ビルマ、北方のチベットや中国にも伝わっていきました。
 原典の多くは、古代インドの正式文章語のサンスクリット(梵語)で書かれていますが、南方仏教ではパーリ語(お釈迦さま当時の言葉に近い)です。
 仏教経典の数は、よく八万法蔵といわれるくらい膨大なもので、キリスト教の聖書の比ではありません。
 お釈迦さまは、各地を素足で歩いて布教され、いろんな人々に、さまざまな角度から真理を説き示されました。
 残されたお経の数が、それを物語っています。
 そして、これらの人々のお釈迦さまへの思慕がお経とも言えます。
 ほとんどのお経が、私たちの法華経のように「如是我聞」(是の如き、我聞き=このように私は聞きました)で始まります。
 つまり、「次のようなお話を、私はうかがいました」といって、お経は始まるのです。
 そう、記憶力のよいお弟子さんのおかげで、私たちはお経を読むことができるのです。