Q&Aコーナー

『妙法蓮華経』は、どんな人がいつごろ訳したのですか。

 訳者は、鳩摩羅什(クマラジュ−350〜409?)という、中央アジアの亀茲(クチャ)の生まれのお坊さんです。
 クチャは、東経83度、北緯43度付近に位置し、北は天山山脈、南にはタクラマカン砂漠を望み、ムザルト河とクチャ河に潤されたオアシスの町です。
 その昔は、盛んな仏教信仰があったといわれ、多くの仏教美術、仏教遺物が遺跡から発掘されたことが知られています。
 インド人を父にもつ鳩摩羅什は、幼少のころからその天分を認められ、九歳のとき母に連れられて、仏教研究のためインドへ留学。
 特に語学が優秀で、多くの外国語を使用できたといいます。天賦の才と努力が鳩摩羅什という名翻訳家をつくったといえましょう。

 当時、この学才を知っている中国の権力の座にあったものは、この人を手に入れようと画策します。
 やがて故郷の亀茲が亡され、羅什は長年の間、この中国の権力者の中でとらわれの身となったのです。
 しかし、羅什の漢語はさらに磨きがかかったものになったといわれ、401年、第二代姚興によって長安の都へ招かれ、王の命によって訳経に従事します。
 入滅までのおよそ八年間に、74部384巻を漢訳したといいます。
 『妙法蓮華経』は406年5月に完成しました。
 この翻訳に参画した僧はなんと二千人であったといわれています。

 羅什が訳した経典は、訳語が的確で、中国人にも容易に理解し得る経典でした。
 晩年、「もし私の翻訳に誤りがなければ、身を燃いた後にも舌は燃けないであろう」と語ったといいます。
 亡くなって遺体を荼毘に伏したところ、舌のみが燃けずに、蓮の花の上に乗ったという伝説が残っています。
 鳩摩羅什という天才がこの世に生まれていなければ、私たちの心のよりどころの法華経もまた伝わらなかったと言えましょう。