不受不施日蓮講門宗読本【4】

法華経の大要

 釈尊の説法を統一したものであるが、其の価値批判に、教・行・人・理の四法にてらしまた本仏自体功徳の集積を、果法と称し以上の五法で価値批判して絶対価値を割出して、宗教としての最高権威づける仕組みは昔からの学究とするところであるが、今は信仰にあてはめて要言すれば「法華経には迹門と本門の二大思想がある。
 迹とは、仏の足跡といって、釈尊行動の実際の面で、本門とは釈尊が本仏としての悟道に徹した基本体をさす。故に「迹」は実相を説き、「本」は生命を説く。
 この実相観は一切法界の万象は皆悉く本仏の慈悲の現れであると説く。
 故に日常の箸にも、ホークにも皆本仏の慈悲(真実の愛)がこもっている。そこで我々を舟に例えれば、本仏の大恩海に浮かんでいることになるのだから、この恩海に感謝し更に願海として清浄の願をこめる生活に進むわけである。
 要はヨコに空間的──の面を説く、其の清浄の願いの条件として不受不施の律法がある。心の正常化を規制するからである。本門の生命観は本仏の過去永遠、未来永久不滅を前提とする「業修」の成果をタテに無限の時間に示し不滅の人生観を打ち立て、一切衆生山川草木国土まで、其の体内に抱きかかえたものである。
 以上の実相と生命は、前者は現実を感恩の世界とし、後者は久遠本仏の生命に徹した教法の受時(信念)となり、縦横に織出したこれを法華経の大要とする。