提婆達多

提婆達多と法華経提婆達多品と…

渡邊日祐
第一回

 現在、不受不施日蓮講門宗で読誦されているお経(妙法蓮華経)の内、方便品第二・如来寿量品第十六・如来神力品第二十一の三品が、三品経として公式行事やお葬式で使われていて重要視されているし、実際他のお経を読誦するのは少ないと思われる。

 その中でも、ご婦人が亡くなられての納骨や追善供養などでは、聞き慣れないお経を読誦しているなあ、と思われたことが一度や二度は、あったと思いますが、それは提婆達多品第十二を読誦しているのであります。

 提婆達多品とは、いったいなにを説いているのか、また、提婆達多とは、人なのか仏なのか何のことであるのか述べさせていただきます。

第一章 提婆達多とは

 提婆達多は、ダイバダッタと読み、本来はデーヴァダッタというのであります。
 提婆達多とは、お釈迦さんと同じ種族の出身であり、お釈迦さんより三十歳ほど若かったといわれ、十大弟子の阿難と、ほぼ同年輩であるという説と、イヤお釈迦さんと、ヤショーダラ妃を争って嫁さんに来てもらえなかったんだから、年代も同じで、阿難の兄で、お釈迦さんの叔父だという説などがあるが、一般に伝えられるところによると、提婆達多はお釈迦さんの成道後十五年ごろに出家し、お釈迦さんより三十歳ほど若く、阿難の兄または、弟とされる説が有力である。

第二章 提婆達多のしたこと

 提婆達多のしたことは、
1.教団破壊
2.阿闍世太子に悪逆を進める
3.お釈迦さんに投石及び放象し暗殺を企てる

▼教団破壊とは、提婆達多がお釈迦さんが反対すると知っていながら、五つの条件を出してそれをきっかけにして、教団を分裂させたこと。

▼お釈迦さんの最高の帰依者であった阿闍世太子の父を、太子をそそのかして殺させた。しかしやがて阿闍世太子は改心することとなる。

▼提婆達多が大石を投げつけるのを見て、山神がそれを防ぎ、石は砕けてしまった。また兇暴な象をけしかけたが、象はお釈迦さんの足を舐めて、そして安らかに死んでいった。

 以上のような悪業をし、そして最後には自分の指に毒を塗って釈迦さんを亡き者にしようとしたが、それが為に自分が無間地獄へ堕ちてしまったのである。
 …と述べてきたようなことが伝えられている。

 これらのことから提婆達多という人物は極悪人だというふうに一般的に言われている。
 もし、私個人の意見や考え方が許されるなら、ここに述べてみたい。

第二回

 仏教とは、ブッダになるための教えであり、そのブッダの説いた教えであろうということはブッダすなわちお釈迦さんと言えるが、お釈迦さんだけがブッダということもないのではないか。(大乗仏教の思想)

 修行を完成した人をブッダと呼んでいるのであって、インドの諸々の仙人もブッダと呼ばれている。
 すなわち、ブッダと呼ばれる人は、一人の人物を呼んだのではないと考えられる。

 そうすると、ブッダの説いた教えとは、お釈迦さん以外のブッダと呼ばれる人によって説かれた教えもあったと思われる。
 そういうものが現存しないのは、お釈迦さんが神格化されてしまい後代のインドに、仏教として伝えられなかっただけであろうと思われる。

 このように考えると、異端者と見られている提婆達多をもう一度考えてみる必要があろう。

 提婆達多は、お釈迦さんの血縁の人であり、いつもブッダと呼ばれる宗教者や思想家の中でも、最もお釈迦さんに近い人物の一人であろう。

 なのに提婆達多はナゼ極悪人としか言われないのであろうか。
 提婆達多は、「仏」とはお釈迦さんのことではなく、聖者のことであると思っていた。
 そうすれば、提婆達多がお釈迦さんを拒み、またお釈迦さんから拒まれていたにもかかわらず、「仏教」であると言うことを主張し得たのであろうと思われるのである。

 提婆達多が教団の分裂を企てたのは、諸経典から見て事実であったと思われるが、提婆達多は仏教を否定したわけではなく、単に主流派とは別の行動をとったということだけであったとも考えられる。

 たとえば現在、新興宗教に日蓮系統が多いが、これらも多くが分裂をしている。
 しかしそうかと言ってその分裂教団を極悪人のようなことは言うまい。

 日蓮宗でも○○宗とか××派とかあり日蓮宗から外に出ているものもある。だが、これらを極悪人の集いだとは言わない。
 その人たちの考え、受け取り方によって新しい団体を作ったのであろう。
 されば、提婆達多も同じであったとは考えられないだろうか。