提婆達多

提婆達多と法華経提婆達多品と…(その2)

渡邊日祐
第3回
提婆達多は極悪人ではなかった!?

 それでは何故に提婆達多は、極悪人としか記されていないのであろうか。『便所に落ちて一カケラのきれいな所もない』ほどの極悪人と記されているものの、これでは余りにもヒドイのではなかろうか。提婆達多は、お釈迦さんと同じような実践生活を行っていたのであるから、一カケラのきれいな所もないとするならば、お釈迦さんも一カケラのきれいな所もないことになってしまう。
 そんなことはありえないし、オカシイことになる。提婆達多は教団に対して忠誠が悪かったためにそう言われたと考えられる。
 提婆達多の極悪人説は、仏教教団が大発展を遂げるにしたがって、教団の分裂の危機を回避し、大教団を一つにまとめていく中心となるべき人物、シンボルがなくてはならないという発想から、お釈迦さんが大きくクローズアップされて神格化されるようになったからであろう。
 なんといっても、お釈迦さんは国王になるべき人物であったし、素性も正しい人であったからである。
 仏教はお釈迦さん教となり、お釈迦さん=仏教の教えということになり、他の者は排除されたのである。
 善の中心であるお釈迦さんがいれば、これに対抗するという立場の者は悪である。すなわち善がいれば、世の常で悪がある、というより、“悪”という立場の者がお釈迦さんの教団にとって欲しかったのではなかろうか、と私は考えるのである。その代表として提婆達多が上げられたのである。
 提婆達多を否定することによって、教団内部のつながりを強め、提婆達多のようになりたくなければ、修行せよ、と言っていたのではないか。
 提婆達多は、お釈迦さんに近い人であったから他の者達もよく知っており、知名度も高かったので、極悪人としては、ウッテツケだったのである。何の知名度をもたない者よりも「ヘェー、あの人が」という方がズッーと効果的であろう。
 お釈迦さんが神格化されればされるほど、善に対する悪として伝えられたのである。提婆達多は極悪人と言うより、異端者であり、お釈迦さんと違った教えを持って仏教としていたと思われている。後の悪人説は、仏教教団の為の犠牲になったのであって、これも提婆達多の高い知名度によるものであると考えられる。


第4回

 提婆達多は生きながらにして地獄に堕ちた悪人の代表とされていた。しかし提婆達多品においては、提婆達多こそ実はお釈迦さんの前世において師であったとし、未来においての成仏を保証しているのである。これが前半の「悪人成仏」である。
 また後半は竜女の成仏を明らかにして「女人成仏」を説いているのである。
 お釈迦さんは、はかり知れぬ遠い過去の世から、ひたすら法華経を求めて永い間修行していた。
 そして王と生まれたが、王位を皇太子に譲って法を求めた。「誰かわたしに教えを説いてくれる者はいないか」と。
 すると一人の仙人が現れ、こう言った。
「わたしは法華経という大乗の教えを知っている。もし、わたしの命ずるとおりに修行するならば、それを教えてやろう。」
 お釈迦さんは喜んで仙人の命ずるままに仕えた。そして長い間大法を勤求して、法華経の教えに到達し遂に仏陀となった。
 この仙人こそ提婆達多の前世である。提婆達多の善知識の力によって、お釈迦さんがサトッたのである。悪人となっている提婆達多も因縁によって、やがて天王如来として成仏すると言うのである。
 これが前半に説かれる「悪人成仏」である。簡単に言えば、あの悪〜い提婆達多でも昔は私の師匠であったのだから、どんな悪い人でも成仏できるということです。