特別講話

貧女の一灯 〜意思が行動の基本〜

 紀元前五○○年前のことである。
 仏陀シャーキャムニの説く仏教は、ガンジス河の中流の南北両岸からヒマラヤ山脈近くまでの広い地域に定着した。
 その地域の北端近くにシュラーヴァスティーという都があり、多くの信者がいた。
 中でもスダッタという大富豪は社会事業に熱心で“孤独な人びとに給与する者”というあだ名で知られ、彼が寄進した僧院は祗樹林給孤独園として経典にしばしば出てくる。略して祗園という。
 現在ネパール国境に近いサヘト・マヘトの地にその遺跡が確認されている。
 この祗園精舎を舞台とする史実・伝説・説話も多いが、その中に次のような物語がある。

 この都に身寄りのない貧しい一人の女性が住んでいた。
 町の老若男女が釈尊とその教団とのために競って力を尽くすのを見て、自分も出来ることをしたいと発心し、まず働いてわずかな金銭を手に入れて油を買いに行った。
 油屋では、少しばかりの油を買ってどうするのかとたずねられたが、釈尊にお灯明をあげたいと答えると、その信心に感心して、計りをよくしてくれた。

 彼女はその油を持って祗園に行き、小さい灯明を供えた。
 多くの信者たちが供えた灯明は夜の間に油が尽きたり、風に吹かれたりして消えてしまったが、この貧しい女性の灯明だけは朝になっても燃え続けていた。

 やがて見回りに来た釈尊の弟子の一人がそれを見つけて、昼の間は消しておこうと思ったが、どうしても消えない。
 しまいには大きな衣を脱いでそれであおいだが、それでも消えない。
 そこを通りかかった釈尊はそれを見て言われた、

 「信仰の厚い者の灯明は消えるものではない。
 その女性は遠い未来の世に仏陀となって人々から尊敬されるであろう」と。』

 以上の説話は『賢愚経』によったが、これがいわゆる“貧者の一灯”とも“貧女の一灯”ともいわれることわざの起源である。
 同じような話は仏典の他の所にも出ていて、日本でも中世以来いろいろと語り継がれている。

 この説話は寄進の金額の大小よりも信仰の強さの方が大切である点を強調したものである。
 類似の説話によると、その夜、大風が吹き、他の灯明は皆消えてしまったが、貧女の一灯のみはついに消えずに残ったという。
 強い信念は決して吹き消されない、というたとえ話である。

 仏教では、人間のあらゆる行動の基本は意思であると教える。
 しっかりとした意思が伴わない行為は挫折しやすいが、意思さえ強ければ不可能のように見える事業でも成功する。たとえば次のような説話がある。

 ある時、森の中で竹や木がこすれあって自然に発火し、山火事となった。
 そこに住んでいた獣や鳥たちは恐れて逃げまどうばかりで、焼け死ぬ他はなかった。

 それを見た一羽のオウムが一大決心をして飛び立ち、泉で翼をぬらして来ては森の上で羽ばたきをして水を何回となくこれを繰り返した。
 山火事は広がる一方で、オウムはヘトヘトになったが、多くの獣や鳥の命を救おうと決心を固めて努力を続けた。

 オウムの真心はついに天上界に通じた。帝釈天はオウムの熱心さに感動して雨を降らせて山火事を消した。
 最初から不可能なこととしてあきらめていたのでは何事も成功しない。
 困難なことでも確信を持って実行すれば目的を達成することが出来る。
 信仰の力を強調したのが次の物語である。

 釈尊が祗園精舎に滞在中のころ、町に一人の熱心な信者が住んでいた。
 ある夕方、彼は祗園精舎に行って釈尊の説法を聞くつもりで家を出たが、途中の河で渡し舟の船頭も説法を聞くために出かけて留守であった。

 その信者は釈尊にお目にかかる喜びで夢中だったので、そのまま河を渡ろうとすると地面の上を行くのと同じように足をぬらさず歩くことが出来た。
 途中で波を見て怖いと思ったとたんに沈みかけたが、釈尊のことを考えただけで無事に向こう岸に着くことができた。

 祗園精舎に行って釈尊にこのことを申し上げると釈尊は、その信者が以前の生涯にもやはり仏陀を念じたおかげで、大海の孤島から無事に帰国できたという話を聞かせてくださった。

 信念の力で水面を歩むという説話は、キリスト教の福音書にもあるが、仏教でも大乗・小乗を通じて信念の功徳を強調する。
 わが国では、観世音菩薩信仰と不動明王信仰とがもっとも広く知られているが、どちらもインドに起源がある。
 信仰による救済、とくに現世利益のすすめは仏教の最初の出発点以来のものである。

 「貧女の一灯」のたとえも、この点を強調したものと見てよい。
 不当な圧迫に対抗して弱者が結束して、正義を貫くという現代の課題においても、仏教のこの教訓から学んでよいのではないだろうか。