日蓮講門宗読本から 日蓮講門宗宗史

新興宗教批判

第10回

 近時戦後新興宗教と称するもの個々の現世利益を唱え、想混沌と社会保障面の弱点につけ込み人々を享楽に誘うて、宗教を企業化し「おかげ」の販売に躍起となって居るが如き宗教の堕落に絶対に迷ってはならない。
 真の「おかげ」は品物の受け渡しの如きものではない。天地に恥じない一心清浄の信心から湧き出づるものである。
 即ち法華経の正法正師主義、ひとすじの法脈を私共の身につけた生ける法華経からこそ与えられるものであり、法華経の信念から不正不義を排撃し純潔を堅持する不受不施主義の信念から生まれるものである。
 宗教の目的は、人の心をきれいにするにある。わが日蓮講門宗の法脈こそは絶対にけがれず所有法難迫害に屈せず正法護持の純潔宗門である。
 近時続出する新興宗教の如き急ごしらえの不自然な濁酒宗門ではない、堂々と寒中にきたえ杜氏の実績を重ね来た銘酒にたとうべきものである。
 宗祖日蓮大聖人を祖述遵奉して指導者たる僧、信者諸共野に伏し山にいね、或は薮の中に庵を結び毎に正法護持のために寝食を忘れてつくした、数百年間所を追われ、焼き討ちとなり或は捕縛され、牢に入れられ、首をきられ島に流され糧道を断たれ実に壮烈惨憺たる苦難を忍んで天下に正法正義を呼号し、継承し来った過去の同志に何と感謝していいか言葉にも筆にもつくし得ない。
 こうしてわが宗門の清浄身をそのまま其血肉をうけつぐ我々の有り難き宗門は、日蓮講門宗である。

 義を守り道を貫く人つらさ
    いのちを削る血潮あびつつ   日省