提婆達多

提婆達多と法華経提婆達多品と…(その3)

渡邊日祐
第5回

 法華経第十二番、「提婆達多品」の章の後半には『女人成仏』が説かれている。
 仏典、つまりお経に、ハッキリと女の人が成仏できることを説いているのは、法華経だけである。
 「女人が成仏できる」ということは、法華経の一仏乗(または一乗)の精神からすれば、当然すぎるほど当然なのであるが。
 いまさらのように仏典で「女人成仏」が難しいことのように説かれているのは、仏典が出来た頃のインドの社会に女性軽視の風潮があったからだ、と思われる。
 もっとも、女性軽視の風潮はインドだけに限ったことではないが。

 悟りの上での差別があろうはずがない。
 『菩提心』を発せば、何人も成仏できる──というのが、仏教の基本姿勢なのである。
 それが、「女人は成仏できない」──となったのは、女性は感情の起伏が激しくて、精神的な脆さがあると見られていたからなのであろう。
 そしてもうひとつ、仏典成立の過程で、男性の修行にとって最大の妨げとなる女性を避けよう・遠ざけようとする気風が生まれたとしても、さほど不思議ではないかもしれない。

◇龍女成仏
 多寶如来の弟子・智積菩薩と文殊菩薩の対話の中で、法華経によって修行し得道したわずか八才の龍女の成仏を明らかにする。
 女人には五つの障りがあって、梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身を得ることは出来ないはずなのに、どうして成仏することが出来るのか───という疑問に対して……、
 法華経の経力によって八才の龍女が、たちどころに男子の身に変わり、成仏することが説かれ、女人も等しく成仏できる事を語るのである。

 簡単に言えば、
 「悟りは、遙かに遠い道である。計算することの出来ないくらい長い長い間、修行して悟りを得るものである。
 しかも、女人には五つの障害があるというのに、どうして成仏できるのだ───」

という疑問に、龍女は素晴らしい宝珠を釈尊に捧げ、そして男子に変身して成仏したのである。
 これにより、すべての人々が悟りを求める心を発せば、成仏する事ができる───という保証を得たのである。
 しかし、女人は大変である。
 貴重な宝石を捧げ、男子に変身して、やっと成仏できるというのだから……。

最後に………
 これらのように、法華経は、唯一といわれる「女人成仏」を説いているのである。
 もちろん、寿量品、方便品、神力品なども大事ではあるが、こういった特徴を持った経典ということで、女性の方にも大変人気があるのである。
 後半の女人成仏のところだけでもよろしいから、ぜひ読誦して下さい。
 終わりに……、提婆達多品第十二は、名著?(名訳)といわれる鳩摩羅什の『妙法蓮華経』には無く、後世に付け加えられたものであると伝えられている。

注釈
◇『一仏乗』=仏となるための教え。道は一つである、という意味。法華経以前のお経では、どうしても成仏できない者たちがいた。これを二乗とか三乗という。この場合の乗は、道と思って差しつかえない。法華経において、その二乗、三乗の教えも一つに統一されたのである。

◇『菩提心』=仏になろうとする心。成仏したいと願う心を菩提心という。菩提心なくして成仏は、あり得ない。