雑談雑話(11)

悪世

 『後の悪世の衆生は善根うたた少なくして増上慢多し』(勧持品)

 「悪世」…それは何時のどんな時代を指す言葉なのであろうか。
 もし現代を指していると考えるなら、
 「こんなに恵まれた時代はないのに…」
と反発する人もいると思う。
 そう、たしかに今、少なくとも日本は繁栄している。

 だが、古来から言われているように、繁栄の光の陰には頽廃の道が潜んでいる。
 その陰に心を蝕まれた人は、知らず知らずに滅亡への道を歩み始めると言う。
 
 『そんな先の事がわかるものか。
 今が楽しければ、それでいいじゃないか』

 贅沢さに慣れてしまった人々は、己を顧みようともしない。
 貴方は知っているだろう。
 「ローマ人は笑って国を亡ぼした」
という故事を…。
 かつての古代帝国ローマは、繁栄の中で驕り高ぶり、大切なものを見失った為に滅亡したという。
 その愚を繰り返してはなるまい。

 経典は次のように語っている。
 『未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ』

 将来、どうなっているかを知りたければ、現在の状態を良く観察せよ。
 釈尊は、善悪の判断基準を心に置かれている。
 心豊かに生きることこそ、仏教の理想とするところなのである。
 その為には、貪り・怒り・愚痴の三つの毒に心を汚されてはならないと言っている。

 善悪を言うと、善根の話になる…。
 「善根」とは、良い結果をもたらす善い行いを意味する。
 しかし、善い結果を生もうと力が入り過ぎると、その行為は善根にはならない。
 これはむしろ、「善根魔」と言って邪道に堕ちる原因となる。
 結果に執着することを私たちは、避けなければならないのです。

 ところが、私たち凡夫はやたらに結果の方に目を向けてしまうのです。
 そして期待通りの結果が得られないと、
 「善い行いなんて、損をするばかりだ」
と毒づくのです。
 まさにこの世は、正直者がバカを見るように出来ているようです。
 善根・善い行いをする人が少なくなるのも無理からぬことであります。

 だが、短絡的な考えは危険です。
 たとえ、ズル賢い者が、今、良い目を見たとしても、その先どうなるかを釈尊は見通しておられる。
 つまり彼らは、自分の間違った行き方を過信してつけ上がり、増上慢の罠に陥ると説かれているのです。

 「増上慢」、つまり天狗になってはならない、人間は思い上がってはならない─と教えているのです。
 自戒の念がなければ、たとえ自分は増上慢の罠から免れ得ても、その報いは子々孫々に必ず現れるといいます。
 今の子供たちに、感謝や思いやりの心がなくなったと責める資格が、大人たちに果たしてあるだろうか。

 「今の日本人は、昔の謙虚さを失っているのではないか」
というブラジル移民の二世の言葉ではないが、札束攻勢で、世界を席捲しようとする日本への痛烈なこの批判に、耳を傾けなければならない。
 ただ、目先の利益ばかりを追い求め、貪っていたのでは、日本は古代ローマの二の舞を演じてしまう怖れがある。
 それ故、心ある人々は、この頽廃からの脱出を試みようとしている。

 仏教の解脱・輪廻からの脱出は、心の豊かさを求める人間の、究極の願いに他ならない。
 釈尊は、後の世に「悪世」の如き時代のあることを予見されて、その時代の人々のために法華経を説き、留めておかれたのである。
 2千5百年の時の流れを超えて、釈尊は、私たちに語りかけているのである。
 繁栄に夢ごこちの現代人が、法華経の教えに縁がなかった─と言っても、お経は眼前にあるのである。
 今こそ、それに気が付き法華経の教えに触れなければならないのである。
 何故なら法華経は、そういった私たちの為に説かれたものであるから…。
2007.4.17_UP