雑談雑話(13)

彼岸法話

 「今日彼岸、菩提の種を蒔く日かな」
 暑かった夏も終わり、涼しい秋がやって来ました。
 仏教の大事な行事である「秋季彼岸会」を間もなく迎えます。
 秋分の日(春は春分)を中日に、その前後の三日、つまり一週間をお彼岸と言います。

 彼岸の行事は大変に古く、聖徳太子の時代から伝わる、日本独特の仏教行事と言われています。
 仏教の故郷インドや、仏教が大いに発展をした中国の地でも見られません。
 一節によりますと、農耕民族である私たちの御先祖たちが、考えたとも言われています。
 それは、太陽が真東からのぼり、真西に沈むこの日を、感謝と祈りを捧げる太陽信仰との結び付きから説明する人たちもいます。
 「彼岸」とは、もともと仏教から出た言葉で、悟りの世界を意味すると言います。
 彼岸=悟り、と訳すのは誤りで、『正しい智慧』が正しい、という説もありますが………。
 それに対して迷いの世界、つまり私たちの住む世界、迷いだらけの世界を此岸という言葉で現しています。
 ここに面白い話がありますので、紹介してみましょう。
 それは、普段から余り仲の良くない嫁と姑の話です。

 いよいよ明日からお彼岸というので、二人は仏壇の掃除やら、供物の仕度をいたします。
 話をしながら用事をするのはよろしいのですが、姑さんの話す言葉が、嫁さんには気に入りません。
 それは何故かと言うと、彼岸のことをしきりに「シガン」と発音することです。
 よせば良いのに、
  「おかあさん、シガンでなくヒガンですよ」
と注意をしました。
 すると、言われた姑さんは、
  「シガンが正しい、昔からそう言っている」
と、これまた耳にいたしません。
 それではと、お寺さんが見えた時、どちらが正しいか聞くことになりました。
 姑は、ここで嫁に負けては、沽券にかかわるとばかり、この事をお寺へ行き、話をしておかねばいけない、と考えました。
 早速と菩提寺へ参り、住職に会って、家に見えた時には、シガンが正しいというように頼みました。
 住職は、「ハイハイ」と土産の品を取りましたので、姑は安心して家へ帰ります。
 一方のお嫁さんも、この際年寄りの強情を抑え、日頃のウップンを晴らしたい魂胆があります。
 そのためには、先回りして話さなければと、これまた用事にかこつけて、寺へ行き話をいたします。
 住職はこれまた、「ハイハイ」の返事で、持参の菓子折りを受け取ります。
 嫁は、これで大丈夫と、知らん顔をして家へ戻りました。

 さて、今日は朝から仏壇に燈明をともし、オハギなどを供え、お寺さんが来るのを待ちます。
 やがて、ご住職がお見えになり、読経をし、回向も済みました。
 用意した茶菓をすすめられ、さて肝心の話が始まります。
 姑さんはイササカ興奮気味なのか、普段より声高となって、嫁とのやりとりを住職に告げるのでした。
 黙って話を聞いていた住職は、ここでハッキリと、二人に話をしなければなりません。
 茶を一服すると、やんわりと話し出しました。
 「さて、ただ今のお話ですが、お二人とも正しいようです。おかあさんの(おシガン)も、お嫁さんの(おヒガン)もその通りです。此岸とは、この世の迷いの世界を言い、彼岸とは、佛の悟りの世界を言います。苦悩に満ちたこの世から、仏国土へと到達すること、つまり到彼岸のことを(お彼岸)と言うのです。お中日の前の三日を此岸とすれば、後の三日は彼岸になる。どちらにも片寄らないのが、仏道です。素直な気持ちになって、これからお二人仲良く、お題目修行に励んで下さい」
と話をし、帰っていきました。

 ご住職の話を聞き、二人は改めて反省をし、それからは近所でも評判の、仲の良い姑と嫁となりました。
 メデタシ、メデタシ。
2007.4.18_UP