雑談雑話(18)

なぜ、お題目を唱えるのですか?

 お題目とは、「南無妙法蓮華経」と唱えることで、日蓮聖人が人々に勧められた行いです。
 「南無」とは、インドの言葉の発音をそのまま漢字に写したものです。
 この「ナム」という言葉は、尊敬します・大事にします─という意味を持っています。
 ですから「南無妙法蓮華経」は、妙法蓮華経を大事にします…あるいは、妙法蓮華経というお経・その教えを信じて、その教えに従って生きていきます─という誓いの言葉となります。

 どんな文章でも、タイトル・表題は、その文章の内容を端的に表しています。
 作者の方も、その文で言いたい「心」を表すように付けますから、タイトル・表題は大事なものです。
 お経も同じで、例えば「阿弥陀経」と言えば、阿弥陀仏のことが説かれているお経だなあ、と思いますし…。
 「維摩経」と言えば、維摩という人のことが書いてあるお経だな、と察しがつき…。
 「無量義経」と言えば、読んだことがなくても何だか、内容が想像できるようなものでしょう。
 妙法蓮華経が説かれるまでに、さまざまなお経が、釈尊によって説かれていますが、それらのお経を一つに統一する立場で説かれたのが、この『妙法蓮華経』なのです。

 何故、統一の必要があったかは紙面の都合で詳しくは述べられませんが、さまざまな経典のさまざまな教えは、方便の教えであったと法華経では語られています。
 つまり、それまでに沢山の仏さまや、お経が説き示されたその本意はただ一つ、
  「すべての人々(衆生)は、仏さまのお身体・命の中に生きている」
ということを気付かせるための手段・方便として説かれたものである─このことが、妙法蓮華経によって明らかにされたのです。

 「日本」という二文字の中に、日本国中のすべての政治・経済・文化・社会・国土が含まれてしまうように、『南無妙法蓮華経』の七字の中に、仏さまのすべての願い、徳が含まれているのです。
 それを信じて、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えれば、それで良いのです。
 赤ん坊がお乳を飲むのに、その成分や効能を知らなくても、自然に大きく育っていくように、お題目を信じて唱えていけば、自然に仏さまの功徳を頂けるのです。
 さらに、自分の内にある「仏さまの心(仏性)」への呼びかけとなって、本当の心・本心を目覚めさせてくれることでしょう。
 日蓮聖人は、「南無妙法蓮華経」そのものが、仏さまの生命であり、仏さまの願いであり、慈悲の心、仏法そのものであると示されています。
 『南無妙法蓮華経』のお題目は、私たちから仏さまへの呼びかけであると同時に、仏さまから私たちへの呼びかけの共通の言葉でもあるのです。
2007.4.18_UP