雑談雑話(21)

日蓮宗と日蓮正宗の違い

 まず、「正宗」の意味であるが、古来からお経を研究する時、そのお経を(序文=序分)(本論=正宗分)と(流通分)の三段に分けてみることが行われた。
 正宗とは正宗分のことで、本論の意味である。
 日蓮正宗は別名、日興派とも富士門流とも言い、日蓮聖人の直弟子である六老僧の一門流である。

 日興上人は、純信一徹で妥協を許さぬ厳格な人であったようで、しばしば同じ六老僧の一人、日向上人との間で、信者の指導方法で対立があった。
 結局は、他の五老僧と訣別して分立し、富士の大石ヶ原に大石寺を…また重須に本門寺を建立した。
 このような、日興上人のやり方について行けない人も多かったようで、多くの離反者を出し、ますます孤立化していったという。
 やがて、自分たちの門流を富士方、他の五老僧たちを鎌倉方と称して、さらに独立の意識を鮮明にしていった。

 さて、日蓮宗と日蓮正宗の違いであるが─、
 日蓮宗では、日蓮聖人の直弟子である六老僧(日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持)と呼ばれる六人の門弟、その各門流の持つ伝統的な教学・本尊・修行方法をお互いに認めつつ、連合体が形成されていた。
 これに対し正宗では、六老僧の一人である日興上人だけを正式な直弟子と認め、日蓮聖人から日興上人に秘密の法門(教え)が伝授された…として他の五老僧を否定する。
 したがって、師匠弟子の師資相承が重要視され、日蓮─日興─日目と続く大石寺の法主を「今日蓮」として尊敬するのである。
 もっとも重要な法門(教え)は、法主一人しか知ることが出来ず、代々の法主から法主へと伝授されるのであり、文字通りの法門の主なのである。

 日蓮宗では、南無妙法蓮華経を唱えることを「正行」と言い、法華経の本文を読誦することを「助行」と言う。
 これは、正宗も同じである。
 ただ、日蓮宗では、方便品・寿量品・神力品などの要品を必要に応じて読誦するが、正宗では方便品と寿量品の二品しか読誦しない。

 お曼荼羅を本尊とするのは、日蓮宗も正宗も同じであるが、その授与については異なっている。
 日蓮宗では、各寺の住職が日蓮聖人の書かれた本尊曼荼羅を拝写して、檀信徒に授与できる。
 しかし正宗では、大石寺の貫主(法燈職)だけが、本尊を書写し授与することが出来るのである。
 明治頃には、全国に50ヶ寺ほどしか末寺がなかった正宗であるが、創価学会の急成長で信徒数・公称800万世帯と言われ、会員への本尊授与システムが変わっていないのは、ある意味で立派だと言えよう。

 日蓮宗では、お曼荼羅の他に仏像形式の本尊を認める。
 正宗では、彫刻した仏像形式の本尊は認めない。

 日蓮正宗の著しい特徴は、「宗祖本仏論」あるいは「日蓮本仏論」と呼ばれる教えである。
 真の本仏から、最初に教えを受けた上行菩薩と呼ばれる菩薩は、法華経だけに現れ、他のお経のどこにも現れない。
 上行菩薩は、もっとも高貴な菩薩である。
 日蓮宗では、その上行菩薩こそ日蓮聖人その人であるとして『日蓮大菩薩』と尊称している。

 正宗の主張する日蓮本仏論では、日蓮聖人が上行菩薩と認めはするが、本当の解釈は少し違うのである。
 日蓮聖人は、真の本仏の再来であり、久遠(永遠の存在)の釈尊の生まれ変わりであるというのである。
 日蓮宗も日蓮正宗も、日本国を「妙法蓮華経」で浄土化、妙法化することが信仰運動の目的となっている。
 正宗は、富士山本門寺に戒壇(本尊を祀って正式に師匠弟子の関係をつくる場)を建立することが、日蓮聖人の御遺命であるとする。
 その為に、折伏が実践され、信徒の増大を目指している。
 日蓮宗では、そのような戒壇を建立する為に、宗門として運動を起こすことはしていない。
 「寺院」をもって戒場、戒壇と考え、妙法蓮華経を受け保つ信念を持戒(戒を受ける)と考える。
 日蓮宗では、日蓮聖人の御真蹟か、またはそれに準ずる御遺文に基づき…、
 現代の世の仏宝とは、久遠実成(永遠の存在)の釈迦牟尼仏。
 同じく法宝は、南無妙法蓮華経。
 同じく僧宝は、本化上行菩薩の日蓮聖人。
 これを三宝とする。

 日蓮正宗では………、
 仏宝は、日蓮聖人。
 法宝は、お曼荼羅(日蓮聖人の直筆)
 僧宝は、六老僧の一人である日興上人を以て三宝としている。
 
 創価学会は、昭和五年に牧口常三郎が「創価教育学会」を創設し、同じく二十一年に、戸田城聖が「創価学会」に改名して再建。
 日蓮聖人の教え(教学)に、美・利・善の価値論を結合したものである。
 現在、創価学会は大石寺と決別している。
2007.4.19_UP