雑談雑話(24)

祈りのある家庭を

 今年も半年が過ぎて、お盆がやってくる。
 もうすぐ子供たちは、夏休み。
 《子供たちが、毎日家にいるようになったらどうしよう。日曜日の亭主のような粗大ゴミが、二つ三つも、一日中ゴロゴロされたら、たまったものではないワ》
と、心配しているお母さんも多いことだろう。

 しかし、お盆といい、夏休みといい、親子のスキンシップを深めるには、絶好の機会ではあるまいか。
 殊に、父親との接点を確かめる好機ではないかと思うのである。
 開放的な夏休みには、子供たちをリードして、父親の力を野外で見せてやるのも良いだろうし、会社や職場でキビキビ働いている、決して、粗大ゴミなどではない父親の姿を見せてやるのも良いだろう。
 自信をもって一生懸命生きている父親の姿こそ、子供に対する父親の最高の教育であると思うのである。
 ある工場の社員食堂で、コックをしている父の姿を見にいった子供の作文を紹介しよう。

 白い服に白いコック帽をかぶった父親は、びっくりするほど素早い手つきで、テキパキとサラダを作っていた。
 今まで、そんなお父さんを見たことがなかったその子は…、
 「お父さんは、はずかしそうな顔をちっともしていません。わたしだけが何で、はずかしがっていたのかと思うと悪いことをしていたような気がしました」
と。
 ある人が、八十歳になったのを記念して自分の生き方を故郷の子供たちに書き送った。
 自叙伝『私の青少年時代』という冊子を、自費出版して故郷の小中高校の生徒に送ったのである。
 現代っ子はかなり白けているので、旧い時代の苦労話を聞かせたり、「誠実に、強くたくましく生きて欲しい」と文章で説いても、余り取り合ってくれないのではないかとも考えたという。
 しかし、子供たちは真剣にこの本を読んで、会長の言わんとするところを素直に、しっかりと受けとめ、沢山の感想文を送って来たというのである。
 このことから、
 《大人自身が一生懸命正しく生きて、子供たちの手本になれば、現代っ子も心を開いてくれる》
と確信を持つに至ったという。

 ところがある調査によると、自分の子供には「甘い」と答えた父親が一番多かったという資料がある。
 昔は「厳父慈母」だったが、今は「甘父干母」と変わり、子供にやさし過ぎる父となり、子供に干渉がましい母となってしまった。
 厳しさを捨ててしまった父親は、子供を親友と自分に言い聞かせ、たまの休みには子供とよく遊んで点数を稼ぎ、外国には、
 「一緒に遊ぶ家庭は、バラバラにならない」
という言葉があるんだと言う。

 ところが、一緒に遊ぶ(PAY)ではなく、一緒に祈る(PEY)家庭はバラバラにならない─なのである。
 家庭に祈りがある。
 信仰があるという事が、大事なことだといっているのである。

 もうすぐお盆を迎えるが、年に一度、ご先祖さまの御魂がお戻りになる時として、心を尽くしてお迎えし、お祀りをするという事は誠に心和む思いである。
 いろいろなお供物もさることながら、お父さんが先頭に立ち、家中こぞって心を込めて報恩感謝(恩に報いて感謝す)の誠を捧げるようにしたいものである。
 その敬虔な合掌の姿が、家庭に光を呼び入れる元となるのである。

 お盆といい、夏休みといい、そうした家本来の姿を取り戻すためにまたとない機会ではないだろうか。
 日蓮聖人は、『観心本尊鈔』に─、
 「天晴れぬれば地明らかなり。法華を知るものは世法を得べきか」
と示されております。
 「信仰があれば、生活にも障りなし」と論されているのです。
2007.4.20_UP