■ 宇喜多秀家之墓所(八丈島) | |
![]() |
宗門旅行として約40年振りの八丈島。宇喜多秀家の墓所を訪ねた。 拡大写真は、ここをクリック。 2016/6/27 |
■ 度牒式 | |
![]() |
拙僧の長男:日祐が正式に当寺の僧侶として迎えられました。およそ6年、他寺でお世話になりました。 春季彼岸施餓鬼法要と合わせて営み、多くの檀信徒の方々の参詣をいただきました。有り難うございました。 2015/3/20 |
■ 永代供養事業:墓地改善工事 | |
![]() |
先代日進師が始められた永代供養堂に関連した、永代供養墓の整備を昨年9月から進めています。 写真は、もと斜面であった土地を造成して平地にしたところです。ここに、永代供養のための合祀墓などを建立するつもりでいます。 およそ20年振りの雪に見舞われ、白く化粧したところを撮影してみました。 2014/2/8 |
■ 智鑑院日相上人お題目石塔(日相寺) | |
![]() |
大阪和泉市にある日相寺。そこには、日相上人のお題目石塔が祀られている(画像)。 大正から昭和にかけて再興されたもので、画像で見ての通り、3つに割られている。実は前後にも2つに割られていて、6つのパーツを合わせている。 画像では分かり難いが、中央の南無妙法蓮華経の文字が削り取られており、お題目が刻まれていたのが何とか分かる...という受難に遭った石塔です。 禁制不受不施時代の証人ともいえ、迫害する方も命がけだったのだろうと推察できるのである。 2013/4/11 |
■ 供養堂の内装工事が終わる | |
![]() |
4月末日から始まった供養堂の内装リフォーム工事が、今日の夕に照明器具の取り付け完了で終わりました。 内装リフォームは、昨年逝去された日進上人が進めていたもので、その遺志を拙僧が受け継ぎ、関係各位、皆さんのご協力を得、約三ヶ月の工期をもって工事が完了しました。 現場での細かい打合せは、業者・役員・拙僧でその都度行いました。思っていた以上のものが出来たと思っております。 特有の歪みがありますが、堂内をパノラマ撮影した写真はここをクリック。 2012/7/29 |
■ 新管長… | |
![]() |
第41世日進上人(H.23.5.26日御逝去)の後、空席になっていた管長職に本宜院日常上人が就任いたしました。 写真は、本山で3月10日開催の再興会で就任挨拶をされている時のものです。 2012/3/15 |
■ 古いお写真 | |
父の遺品をいろいろ片付けていると、思わぬものを見つけてしまう。この写真もその一つ。他にも沢山でてきましたが、これだけの集合写真は珍しいかもしれません。 写真の裏には、昭和14年10月1日と記されていました。この年は、ドイツがポーランドに侵入した年ですね。写真裏には撮った月日だけでなく他にも書いてありましたが判別できず。 何処で撮影したのかは、背景を見れば分かりましたが、それ以外はよく分かりませんでした。 (左の写真をクリックすれば原版サイズで見れます) 2011/11/13 |
■ お曼陀羅(日相上人?) | |
昭和15年頃から昭和61年にかけて記録された檀信徒帳の傷みが激しく、数年前から「写真撮影しておこう」と気に掛けていました。それが、なかなか実行に移せず今年になってしまいました。撮影の仕方を工夫し、手ぶれと画面四隅のピンぼけを軽減できたと思います。 適当に写るというレベルでは駄目で、かすれて見難くなった戒名まで記録できていないと、後年に残す意味が薄れます。結果、271枚撮りました。 撮影終了間近、左のようなお曼陀羅が頁の間から出てきてビックリしました。表装さえしていない。日相上人直筆か否かは分かりませんが、取り敢えず筆が走ったものであるのは確認しました。 (簡易な鑑定ですが木版のようです 10/18) 2011/9/30 |
■ 蓮 | |
![]() |
四六時中、手鞄の中にはデジカメを忍ばせています。いつ何ということはなく、撮影したいものに出会うか分からないですから。 法事で訪れたとあるお宅の庭に小さな花を咲かせている蓮の花を見つけました。何枚か撮った中で、一番まともに撮影できていると思ったものを。画面が暗かったので輝度を少し上げています。 2011/9/25 |
■ 白梅 | |
![]() |
ちょっと天気が良いので、境内を掃除に回ってました。このところ野犬がウロついていて時々フンを落としているのですが、山に登る道にやっぱり置いてました。 本堂裏には水仙が咲き始め、その少し先にある梅木には、パラパラとですが白梅が咲き始めていました。どなたが植えられたのか存じませんが、木も大きく育っています。 2011/2/23 |
■ 日典上人のお曼荼羅 | |
江戸期より前のお曼荼羅にお目に掛かるというのは、まぁそうそうありませんが、それでも檀家さんは古いお曼荼羅を所有しているようです。日奥上人、日講上人のお曼荼羅はその中でも特によくお目に掛かります。 今回は、日奥上人のお師匠さん日典上人のお曼荼羅にお目に掛かりました。たぶん、直筆だと思いますが日典上人のお曼荼羅を所有している檀家さんは非常に少ない感じです。ちなみに、下の三幅を所有している檀家さんとは別の方です。 保存状態はまずまずでした。 2010/11/20 |
■ 西の空に虹が… | |
![]() |
2009(h.21)年11月2日の朝、資源化ゴミを出す為に玄関を出ると、写真のような見事な虹が西の空に出ておりました。 急いでデジカメを取りに戻ったのは言うまでもありません。13枚撮った内の中から比較的撮れているものをUPです。よく見ると二重に出てるんですネ。 この後、すこし時雨れて西風がピープーと吹き始め、ちょぃ寒くなりました。 2009/11/2 |
■ 宮崎県佐土原・日講様参拝(大安寺輪番) | |
![]() |
今年は大安寺の輪番で、九州宮崎県佐土原の日講様にお参りしてきました。休憩所の撤去跡地の確認や玉垣の修繕部分を撮影し、報恩感謝のお看経後、世話人の方とお会いして歓談いたしました。 写真の左は日講様供養塔、右手は萬部の塔です。県史跡指定を受けております。我が宗門の派祖・日講上人ご遷化の聖地です。 2009/4/21 |
■ 長崎県対馬の国昌寺 | |
![]() |
6月17日から19日の二泊三日の旅程で訪れた長崎県対馬。旅程二日目、仏性院日奥上人が開祖の国昌寺を訪れた。 前回の宗門旅行で訪れたのは28年前の昭和55年。実は、小生もその時参加している。当時撮影した貴重なVHSビデオも現存。今回の旅行と見比べて時の流れを感じました。 2008/09/15 |
■ K氏の絵画 | |
![]() |
一芸に秀でたり、ちょっと他の人には真似の出来ない技を持っておられる人が世の中にはいます。 この絵画...と言っても画像は普通の水彩絵の具を用いて書かれたものです。 書かれた主は、88歳の檀家さん。水彩画を描いてきて早ゃ何十年というのではなく、ついこの前から趣味として描き始められたとか。まさに、80の手習いでございます。 |
■ 日講上人お曼荼羅 | |
![]() |
檀家さんの中には古くて貴重なお曼荼羅を所有されている方もおられます。左の画像は、不受不施日蓮講門宗の派祖と仰がれる安国院日講上人の直筆お曼荼羅の一幅です。 保存状態も大変良く、長い間大切に保存されてきたものと思われます。携帯電話のカメラで撮影したので画質はこれがオリジナルです。 |
■ 秋桜 | |
![]() | 吉備国分寺の秋桜が有名ですが、大安寺の近所にも素晴らしい秋桜畑が存在します。たくさん撮影した中から1つをご紹介しましょう。(2005 Oct.10) |
■ 大賀蓮2 | |
![]() |
下の画像は2004年7月に撮影されたものです。 この画像は2003年のものです。今年(2005年)は、台風の影響で花が咲かなかったそうです。(Web管理人) |
■ 大賀蓮 | |
![]() |
檀家の蜂谷様より、自宅のお庭に咲いた大賀蓮の画像が送信されてきました。とても綺麗な画像です。有り難うございました。余りにも綺麗なので、皆さんにもご紹介します。 −−− 1951年3月30日、植物学者・大賀一郎博士(1883〜1965)が、古代の地層(千葉県の検見川遺跡:地下6〜7m)から発見した蓮の実を現代に蘇らせたもの。この実 は、2000年以上地下で眠っていたと考えられ、発芽に成功した蓮を株分けして全国に広まった。花は毎年7月、直径20cmもある大型の淡紅色の素朴な花びらをつける。花は開花から一週間ほどで枯れてしまう。 岡山後楽園では、他に大名蓮も群生しており、背の低い大賀蓮は生存競争に負けているようです。何とか共生できるように、関係者は知恵をしぼっているとか…。 |