法華経の世界 4

特殊な表記方3

 凡人の私たちには、般若心経の説くように、たとえ苦楽には実体がなく、あるのは「空」なのだ───と分かっていても、やはり苦は辛く、楽は嬉しいものです。
 法華経は、人間の現実の心情を否定することなく、「苦しい時は逃避しようと考えずに、素直に苦と受けとめよ」、「楽しい時は、素直に楽しむがよい」と積極的に肯定し、しかも、それに執らわれないように───と教えています。
 法華経は全二十八章に及ぶ経典ですが、その内容はドラマチックで、かつ示唆に富む多くの例え話・比喩に充ち満ちています。
 中でも、とりわけ深い真理を示唆する七つの喩えがあり、「法華七喩」として昔から採り上げられてきました。
 比喩は、単なる例え話ではなく、真理そのものの表象であることを非合理の心情で接するなら、法華経に限らず大乗仏教の思想も理解されることと思います。
 思うに、現代人は合理的な考え方に馴れ過ぎています。
 しかし、社会も人生も複雑ですから、合理性一辺倒では理解できない事情も多々あります。
 むしろ、論理の法則に当てはまらない非合理(不合理ではない)な事象の方が多いものです。
 したがって、論理的に説明できないものは、情緒的な心で感じとる必要があります。
 法華経には、前述のように数多くの比喩が語られています。
 したがって、法華経の比喩が象徴する真実、比喩にして初めて語り尽くせる法華経の真実が読めないと、本当に法華経を読んだことにはなりません。
 それは、学問的知識のみで読んだ先人の法華経批判、仏教批判にも現われている事は述べておきました。
 法華経を身読した日蓮聖人は、佐渡へ流されるという逆境にありながら、なお法華経
に会えた喜びを愛弟子に伝えています。
 「現在の大難を思いつづくるにも涙。
 未来の成仏を思うて喜ぶにも涙せきあえず。
 鳥と虫とは鳴けども、なみだ落ちず。
 日蓮は泣かねども、涙ひまなし。
 この涙、世間の事にあらず。
 ただひとえに法華経のゆえなり。
 しからば、甘露の涙というべし」
 日蓮の流す涙は、法華経の心を知り得た喜びに満ち溢れる涙なのです。